服部緑地のセンチュリー・オーケストラハウスには、かつて大阪府音楽団がありました。

大阪府との折衝はこれからなのでしょうけれど、大阪センチュリー交響楽団のこととか、7万人以上の署名が集まりつつある応援団のこととか、おぼろげに様子が見えてきて、私個人としては、どういう結果が出てくるにしても気になるのはその先のことだな、と思っています。

現在楽団員である皆さん御自身が、大阪センチュリー交響楽団という団体にどれくらいの帰属意識があって、どんな形であってもこの仲間とやっていこうと覚悟を決めていらっしゃる方が、その中でどれくらいいらっしゃるのかな、ということ。そういう方がある程度の数いらっしゃって、「やるぞ!」という声を外に発信されたとしたら、たぶんそういう動きに対しては、バブル的/お祭り的ではない本物のバックアップがなければウソだし、「大阪の文化力」が本当の意味で問われるのは、そういう声が上がったときに、周りがちゃんと支えることができるかどうか。そこにかかっているような気がします。
ところで、服部緑地のセンチュリーの本拠地(センチュリー・オーケストラハウスと言うのだそうですね)は、地図で見ると服部緑地の野外音楽堂に隣接しているので、たぶん、かつて大阪府音楽団(府音)があった場所なのだろうと思います。

わたくし、実はかつて吹奏楽をやっていた時期が比較的長くありまして(告白)、高校生の頃には、「府音」に楽譜を借りに行ったり、吹奏楽部のみんなでバンド・クリニックみたいなものを受けたりしたことがあります。

「符音」が発展的解消ということで実際にはほぼ全員解雇されて、新たに採用された方々で作られたのが大阪センチュリー交響楽団。

喩えにややバイアスがかかっているかもしれませんが、豊臣家のお城を埋めて更地にして、江戸時代に新たに石垣が積まれて、その上に建っているのが現在の大阪城(昭和のコンクリート建築ですが)。なんとなくそんな感じですね。場所は同じだけれど、「府音」の痕跡はいまは地上にほとんど見えない、という意味で。

大阪市音楽団が陸軍第四師団軍楽隊の流れを汲む団体で……というのは関西洋楽史ではおなじみの話題なのですが、府音はどういう経緯でできた団体だったのでしょう。機会があればちょっと調べてみようかなと思います。職員室みたいな事務所があって、手書きの楽譜リストのノートがあって、ロッカーに紙袋入りの楽譜が並んでいたなあ、というような記憶くらいしか私にはないので……。

(そういえば、昨年、いずみホールが企画した市音の「懐かしの70年代吹奏楽特集」のことは、日経新聞に批評を書きました。飯森範親の指揮であったにもかかわらず、「シンフォニア・ノビリッシマ」は、懐かしくすぎました。)

府音がこの世から消滅した直後には、たぶん、センチュリーに対して「あとを託す」みたいな感じがあったのだろうと思うのですが、そういう地下に埋もれた過去の記憶は、今も伝承されているのでしょうか?

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なんとなく吹奏楽のことを思い出してしまったので、最近書いた曲目解説を、ついでに引用しておくことにします。

●大阪音楽大学第39回吹奏楽演奏会(2008年3月1日、ザ・シンフォニーホール)

C. T. スミス/フェスティヴァル・ヴァリエーションズ
[...]強靱なテクニックが求められるパワフルなサウンド。中間部でのメロディアスな「引き技」と、エキゾチックなスパイス。そして難所続きのスリリングな展開。スミスの最大の功績は、ヴァイオリンにおけるパガニーニや、ピアノにおけるリストを思わせる「ヴィルトゥオーソの美学」を吹奏楽にもたらしたことかもしれません。[...]ジョン・ウィリアムズが「スター・ウォーズ」以来の映画音楽で快進撃を続けて、リーガン大統領が「強いアメリカ」をアピールしていた1980年代の響きがする作品です。

*「過剰なパワー/引き技による魅惑/スリル」の3つがヴィルトゥオーソの美学である、という岡田暁生さんのヴィルトゥオーソ論(「ピアノを弾く身体」)を敢えて使わせていただきました。岡田さん御自身が「ブラバン」なぞ大嫌いであることは重々承知しているのですが(笑)。

O. レスピーギ(木村吉宏編曲)/シバの女王ベルキス
 オットリーノ・レスピーギ(1879-1936)のバレエ「シバの女王ベルキス」は、1932年にミラノ・スカラ座で初演されてから一度も再演されていない「忘れられた作品」でした。ところが、1985年に4曲から成る管弦楽組曲がジェフリー・サイモン指揮フィルハーモニア管弦楽団によってCD化されると、日本で一躍、吹奏楽関係者の注目を集めました。1988年の第36回全日本吹奏楽コンクールで東北学院大学が淀彰の編曲と指揮で取り上げて、大阪市音楽団が11月2日の第69回定期演奏会で本日と同じ木村吉宏の編曲で演奏したのが、「ベルキス」ブームのきっかけではないかと思います。1993年には全日本コンクールで8団体が挑戦するなど、「ベルキス」はあっという間に人気曲になりました。そして吹奏楽での人気を逆輸入するようにして、ここ数年、オリジナルの管弦楽組曲がオーケストラでも取り上げられるようになっています。[...]

*吹奏楽の世界では非常に有名であるらしい「ベルキス」。80年代後半には、私は既に吹奏楽から縁遠くなっていて、流行っているということすら最近まで知らなかったのでこの機会にちょっと調べてみました。もっとこんな事実があるというのをご存知な方がいらっしゃったらご教示ください。(オーケストラ組曲の楽譜がいつどこから出たのか、調べ切れなかったので、そこは知っておきたい気もします。)

●大阪音楽大学第5回ザ・ストリング・コンサート(2008年3月7日、いずみホール)

G. ホルスト/セント・ポール組曲 作品29-2
[...]第4曲「終曲(ダーガソン)」は、吹奏楽のための第2組曲(1911)の第4楽章を拡張して転用した曲です。4小節の軽快なイギリス民謡「ダーガソン」(ハ長調)が何度も繰り返され、そこにもうひとつの民謡「グリーンスリーヴス」(ドリア旋法)が重ね合わされます。

*ホルストがイギリス民謡を使った曲。そんなに凝ったことをやっているわけではなさそうですが、調的和声と旋法の重ね方が意外に面白いなと思ったので分析メモのつもりでここに引用しておきます。この曲にも出てくるグリーンスリーヴス。今では普通の「短調」で歌われていますけれど、古い形はどんな風だったのでしょう? 原形はもっとはっきりドリア旋法で、だからホルストはメジャースケールのダーガソンと重ねて使ったのかな、と想像したのですが、真相は?

京大人文研が出した「日仏交感の近代」所収の岡田暁生さんの論文「ドイツ音楽からの脱出? -- 戦前日本におけるフランス音楽受容の幾つかのモード」(目の覚める切り口、近代日本をやる人は必読!と読んで思いました)は、佐野仁美さんの神戸大学博士論文の成果を踏まえる形で、戦前の日本に、フランス近代を手本にした「フォークロア派」(「お琴の旋律にドビュッシー風の和声をつけてみせた」だけみたいな音楽)の存在を指摘していますが、ホルストの楽譜を見ていると、フランスとドーヴァー海峡を挟んで向かい合っているイギリスにも、日本と同じような「民謡+ドビュッシー和声」の「フォークロア派」があったと言えるのかもしれませんね。(だから英国音楽は日本で人気があるのかも?)

日仏交感の近代―文学・美術・音楽

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