両論併記:大阪センチュリー交響楽団の「象徴的な意味」はさておき、現状がどうなのか?

本当に時間がないので、とりあえず資料・証言等をいくつか貼ります。

小異に目をつぶって大同に付くのが「運動」の基本。署名運動は、「文化を守れ」という大きな主張のシンボルとしてやっているわけだから、大阪センチュリー交響楽団の財務実態や、オーケストラの活動実態がどうであるかを詮索するタイミングではない。そういう流れになっているのは理解します。けれども、そういう風に「お祭り」が起きて、それが終わると、同時に「現実的な議論」まで消えてしまう(熱しやすく冷めやすい)のが「運動」戦術の弱点でもあると思うので(個人的に、そういうのは本当にもうコリゴリだ、という思いが強い)、「喉に小骨」を刺してみようかな、と、そういう意図です。

ひたすら引用のみ。私の「意見」は時間ができたら書きます。(その後最後にちょっとだけ追記しました。)

●大阪府/財政再建プログラム試案(いわゆるPT案)

http://www.pref.osaka.jp/osaka-pref/zaisei/kaikaku-pt/shian/index.html

(財)大阪府文化振興財団

○自立化(20年度)
・法人への補助金を廃止し、自立化を図る

文化振興基金があと数年で枯渇する見込みの中で、法人の維持可能な経営を確保するといった観点から、依頼公演の確保や料金の改定、経費の削減など、法人として一層の経営努力を進め自立化を図る

H20 0.6億円
H21 補助金39億円の廃止(一般財源0.6億円)

試案本文(PDF)、P.46

財団法人 大阪府文化事業団
考え方
・法人は、これまで広報や営業活動を強化し、依頼公演や企業共産の獲得等事業収入の増加とともに、役職員給与の引き下げなど管理費の縮減といった経営改善を講じ、府補助金の縮減を図ってきたところであるが、依然として府補助金への依存度は高い状況にある
【府補助金 14:約5億円(運営費総額の約71%)→18:約4.4億円(約58&)】
・また、文化振興基金があと数年で枯渇する見込みの中で、法人の維持可能な経営を確保するといった観点から、依頼公演の確保や料金の改定、経費の削減など、法人として一層の経営努力を進め自立化を図る

資料編:生活文化部(PDF)、P.6

補足:PT試案は、H.18年までの実績データをもとに作成されているようです。産経新聞の報道によると、H.19年の実績は、

それでもセンチュリーの場合、14年度から給与10%のカットと昇級をストップし、平均年収は44歳で約500万円。年10回の定期演奏会のほか、1回230万円の収入となる依頼公演などを年70回こなしながら協賛企業を募ることで、19年度は事業収入を前年比約40%増やし、運営費に占める補助金の割合を52%まで低下させた。

「運営費に占める補助金比率は、PT案にあるH.19年度の58%からH.20年度は52%まで下がっているようです。

この「経費削減実績」を頑張っていると評価すべきなのか、PT案のように、「まだ努力が足らない」と見るかが、たぶん、ひとつの争点。

●大阪センチュリー交響楽団 楽員ブログ

非常に恣意的であることを自覚した引用です。ただ、「かなり恵まれた環境でやっているのだな」という風に見えるよなあ、という私個人の素朴な印象のよりどころになっている事柄の例として。

その1:

入ってビックリ!聞いてはいたけどこんな立派なモノが練習場に設置されていました。

両サイドに置いて全体の、と言うよりは弦楽器の響きを重視した感のある音響対策。とりあえず今日のみの試みだそうです。初めは写真のように、後に板と板(?)をずらして空間を作った2パターンでリハをしました。メンバーの感想はパートや演奏位置によって様々でしたが、2パターン目の方が好評だった・・・ように感じました。明日の練習に何か良い影響が現れるといいな。

2007年10月16日

この反響板を実際に購入したのかどうかは確認できませんでした。「2007年11月6日のブログには

前回定期ではたった1日限りの試みでしたが、今回は購入するかどうかを決めるようで、チェックは厳しいです。だって高いお買い物ですものね。その効果を実感していただけるのはホールのみ、です。ご期待くださいね。

http://coo1989.exblog.jp/6774832/#6774832_1

と書かれています。

その2:

ピアノコンチェルトは珍しく「代奏」の方をたててのリハでした。なんでかなぁ、と思ったけれど深くは考えないでつくづく良い曲だ、と感じたのでした。

2008年4月12日

先日の定期演奏会のブラームスのピアノ協奏曲は、ソリストが入るまえの「カラオケ」練習に代理ピアニストを立てる万全の体制で準備されたものであったようです。

あくまで個人的な印象でしかありませんが、センチュリーは、こういう感じで「恵まれてる」のがチラチラ垣間見える団体だな、という感じを私はもっているのです……。

以上

[追記]

  • 新聞報道をみていると、センチュリーだけではなく、他のオーケストラへの補助金もいわゆる「ゼロ・ベース」で再検討というような記述があったようなのですが、これがPT案のどの部分に相当するのか、そこはよくわかりませんでした。そのことと対応して、センチュリー以外のオーケストラについても、何らかの「守る会」が必要な状況なのかどうか、それもよくわかりません。あと、大阪文化祭という行事を主催している「大阪21世紀協会」(御堂筋パレードの主催が有名ですが)への補助金についてもPT案に入っているようです。これについてはどうなのでしょう? センチュリーを「応援する会」は、そうした諸々をひっくるめての運動ということになるのでしょうか? 素朴にそのあたりがまだよくわからないので、知っている人がいたら教えて欲しいです。
  • 今日のテレビ報道は、府知事と市町村長の会合のニュースが何度も流れていましたが、素朴に「絵」として見たときに、市町村長の方々が皆さんご高齢で、ワッハ上方閉鎖に反対する会を代表して記者会見したのは藤本義一さん。そういえば藤本さんはセンチュリーを応援する会発起人にも名前を連ねているなあ……。というように、知事反対側で顔が見える方々が、皆さん、超ベテラン世代であることが、ちょっと気になりました。PT案に賛成であるにせよ反対であるにせよ、この帰結を直接引き受けなければならなくなるのは、橋下知事と同世代あるいはもっと下の世代であるはずなのですが……。(東京で同じようなことが起きるとしたら、もうちょっと関係者の年齢層が若いのでしょうか? どうなんでしょう。)
  • 橋下知事側の予算削減案には、手を触れていない「聖域」があるのではないか、という指摘もあるようですね。これは、もう私などには手に負えない話なので、しかるべき裏付けと準備のある方面で、きっちりチェックしていただきたいと思います。ひょっとすると諸事業の立ち上げから関わっていたのかもしれない年期の入った方々のパワーはもちろん尊敬するのですが、やっぱり世代交代も大切でしょうし、今後実際に現場を切り盛りしていくことになる世代と、橋下知事のプラン全体のバランスをちゃんとチェックできるような人たちとが連携しつつ、実質的な議論が進む、そのための第一歩ということであれば、センチュリーを守る運動も、有意義であるのかなあ、とは思いますが……。

[さらに追記]

色々な見方があったほうがいいかもしれないと思うのでもう少し。

「大阪センチュリー交響楽団を応援する会」の署名を求める緊急要望書を見て、この会の名前からしてそうですが、私が最初に連想したのは、古い話ながら、1976年(昭和51年)の

「大フィルをヨーロッパへ送る会」

のことでした。

(大栗裕調査で最近古い資料ばっかりみているせいかもしれませんね。すみません。)

そのときには、資金調達のための募金活動が本当に市民運動的な盛り上がりを見せたと聞いています。(「送る会」は、有名な聖フロリアン教会でのブルックナーを含む大フィル初の欧州ツアーを「応援」した活動です。)

当時の「送る会」は、募金活動の一環として、1975年8月18日にフェスティバルホールで「大フィルをヨーロッパへ送る演奏会」というのを開いて、桂米朝師匠が指揮とトークで出演されたと聞いています。(手元にはっきりした資料がないのですが、小松左京さんなどもステージに上がったという話を聞いたことがあり、それもこの演奏会のことなんじゃないかな、と思います。)一般個人から一千万円以上の寄付が集まったようです。本当に「大阪を挙げて」、みんなで大フィルの欧州行きを応援した、とされている伝説的な出来事です。

今回、センチュリーの応援で「一肌脱いで」動いている諸先輩の方々は、その頃からの人であったり、その精神を継承している方々であるように私には思えてしまうのですね。

先日の「大栗裕の世界」では、関西歌劇団の黄金時代ってこんな雰囲気だったのだろうな、とリアルに感じることができました。センチュリー応援団の諸先輩方の取り組み(回線がパンクするほどのFAXが届いているという話など)は、「関西楽壇」がどんどん大きくなっていった時代の雰囲気を思い出させてくれるムーヴメントではあると思っています。

「大栗裕の世界」のときは、こんなことを書くと手前味噌になってしまって反感を買ってしまいそうですが、そういう「懐かしさ」が大切なイベントだからこそ(実際、大栗さんのご遺族を初めとする方々が集まって本当に感動的でした)、自分の仕事は、敢えて「今現在これをやる意味はどこにあるか」というポイントを見つけようとすることなのだろうと思っていました(力不足で、もし例えば片山杜秀さんだったら、百倍立派な仕事をしたのだろうな、とずっと思っていましたが)。

「センチュリーを応援する会」も、そういう「今の視点」がどのあたりにあるのか。そういう意識がたぶんどこかに必要なんじゃないかな、と、「大栗裕」が終わった直後で頭が切り替わっていないせいかもしれませんが、つい、そんなことを考えてしまうのです。諸先輩方が陣頭で頑張っていらっしゃるのに、ブツブツうるさいことばかり書いて、申し訳ないとは思うのですが……。