「日本戦後音楽史」上・下

昨年前半に出た本で、読まねばならないと思いつつ後回しになっていて、ようやく購入しました。

日本戦後音楽史〈上〉戦後から前衛の時代へ 1945‐1973

日本戦後音楽史〈上〉戦後から前衛の時代へ 1945‐1973

日本戦後音楽史〈下〉前衛の終焉から21世紀の響きへ 1973‐2000

日本戦後音楽史〈下〉前衛の終焉から21世紀の響きへ 1973‐2000

色々思うことはありますが、とりあえず、手短に感想。

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アフィニス財団の委託を受けた十年間の研究会の成果と言うことで、少し前まで「現代音楽」と呼ばれることの多かったジャンルの、1945年から2000年までの日本における歩みを総覧する壮大な試みということになるのかな、と思います。

7つのパートに別れていて、執筆担当は、

  • 第I部 1945-1951年 片山杜秀
  • 第II部 1951-1957年 高久暁ほか
  • 第III部 1957-1967年 楢崎洋子
  • 第IV部 1967-1973年 石田一志
  • 第V部 1973-1980年 長木誠司
  • 第VI部 1980-1989年 沼野雄司
  • 第VII部 1989-2000年 水野みか子

同時代には注釈抜きに「現代音楽」で良かったのでしょうけれど、さすがにそろそろ「過去」として、「歴史/物語」の中に繰り込んでいかなければいけなくなりつつある案件のようにも思われて……、

片山杜秀さんが書いた第I部は、ご専門の戦前・戦中との連続性・不連続性という歴史的な視点と、現在の時点から振り返った時にどこにフォーカスを当てていくべきか、というアクチュアルな視点の両方がはっきりあって、ずば抜けて読み応えのある内容になっていると思いました。

人文・社会科学のこの種の共同研究による叢書、講座、ハンドブックの作法や文体にもかなっていて、少なくとも第I部は、日本の戦後の作曲を語るときに、この先誰もが(依拠するにせよ批判するにせよ)参照しなければいけない必須基本文献になるだろうなと思いました。戦後日本の音楽にも、そういう文章が遂に出てきたのだな、とちょっと感動。

片山さんがこれまで、時評やコラムや個別評でコンパクトに単発で書いてこられた事柄が、時代全体を俯瞰する構図の中にひとつひとつピタリと収まっていて、「総集編」的な感じもありますね。片山さんの書いた文章が好きな方だったら、文体は学術書風にいつもより改まっていますが、読み物としても楽しめるのではないでしょうか。

ちなみに、第II部(高久暁さんが事情で途中降板したため、他のメンバーが各章を分担して引き継いだとのこと)の映画音楽の章も、執筆・文責の表示はありませんが、ほぼ間違いなく片山さんが担当したと思われます。ということはこの本には、片山杜秀さんが最も得意とする50年代日本映画音楽論のコンパクトなまとめが収録されている、ということですね。

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第II部以後については、この本が出た当初に吉松隆さんがご自身のブログに書いていらっしゃる感想がまさにその通りかな、と思いました。

それにしても、いかにマイナーな現代音楽界とは言え、そこにうごめく膨大な数の作曲家たちとその作品たちを一通り網羅し分類するというのは、例えれば・・・東京中のネコの名前を集めて台帳にするようなもの・・・?。さぞかし大変な作業だったに違いない。

日本戦後音楽史(上・下): 隠響堂日記

日本交響楽振興財団から前に出た「日本の管弦楽作品表 1912~1992」などと似たような感じの網羅的な記録、音楽の住民基本台帳。読み物である以上に資料という感触の記述ですね。

日本の管弦楽作品表―1912~1992

日本の管弦楽作品表―1912~1992

でも、コンサート・シリーズの主なものについては、シリーズ全部の演奏曲目が出ていたりしますし、便覧的に使えるのではないでしょうか。

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ただ、全体を通して読もうとすると、片山さんの壮大な物語を予感させる第I部のあとに、文体・視点・肌合いが章ごとに微妙に違う第II部を経て、「ネコの名前の台帳」へ突入するので、ちょっと不思議な感じではあります。時代区分の根拠がいまいちわかりにくい(どうして1951年や1957年が「切れ目」に選ばれているのか、60年安保は時代の切れ目ではないけれど、天皇崩御の89年は切れ目なのか……等々)というのも、通して読むのを難しくさせている感じですね。

こういうプロジェクト自体がこれまでなかったのですから、とにかく本を作ったことに意味がある。コンピュータでいえば、バグや使いにくいところは残っているけれど、そこはこれから直していくつもりで開発者向けにリリースしたベータ版のような感じかなと思いました。

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最後に、バグレポートというわけではないですが、たまたま今勉強中のところで気付いてしまったので、3点。

275ページ:関西歌劇団について

二〇〇六年には活動休止を余儀なくさせられている。

とありますが、既にNPO法人関西芸術振興会を母胎として再始動して、秋には「ファルスタッフ」公演(文化庁芸術祭参加)もあるので(http://www.geocities.jp/kaps01feb06/Informationen.html)、ここで記述が止まっているのは、ちょっと可哀想かなと思いました。

277ページ:オペラ「夕鶴」について

順調に上演回数を伸ばして、一九六〇年には初の海外公演(中華人民共和国)も果たすなど、

とありますが、「音楽の友」などを見たかぎりでは、それより前にチューリッヒ歌劇場公演(1957年6月)があるので、おそらくこちらが初の海外公演ではないでしょうか。(そして1960年1月アメリカでの作曲者の指揮による「夕鶴」上演が海外2度目だと思われます。中国公演は、私はその事実についてまだ把握していないのですが、この2件よりあとではないでしょうか。)「夕鶴」は思い入れのある関係者が少なくないはずで、私が言わなくても、当時の事情をご存じの方がいらっしゃるに違いないとは思いますが……。

278ページ:関西歌劇団の「修禅寺物語」初演について

《修禅寺物語》は一九四九年に創立された関西歌劇団によって初演されたもので、同歌劇団の創作オペラ第一弾となった。

関西歌劇団の「創作歌劇公演」と銘打った自主企画の第1回は、1955年6月の「白狐の湯」と「赤い陣羽織」(いずれも委嘱初演)。「修禅寺物語」初演は1954年秋でこちらのほうが先ですが、これは、劇団委嘱というわけではなく、ABC朝日放送開局3周年記念などの冠がついた特別公演だったようです。(清水脩自身のいくつかの文章や当時の消息記事を照合すると、数年前から作曲者が自らの意志でまず曲を書いて、それから上演してくれる場を探す、という段取りだったように思われます。)

事実として関西歌劇団が日本人の作曲したオペラを初演したのは「修禅寺物語」が最初ですから、上の記述が間違いとはいえませんし、この章の執筆者さんは、「ちなみに團伊玖磨は、[...]関西歌劇団の創作オペラを[...]まったく認めていなかった」という風に締めくくっていたりして、275ページの件など、関西歌劇団につれなくて(笑)、細かいことまで関心をお持ちではないかもしれないのですが……。

(そして、オリンピックなどのスポーツ報道では今もそうですが、「日本人初」とか「海外での初舞台」とか、音楽興行のそういうクレジットを重視するのは、戦後日本の発想法や語りのモードに引っ張られ過ぎているような気がしますし、網羅的な統計・データ重視で「質」を「量」に変換してしまう調査方法が陥りがちな「ワナ」かもしれないと、これは自戒の念を込めつつ思ったりもします。)