音楽の阪神間モダニズムの話題を二つ:その1 津金澤聰廣、近藤久美編『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』

大阪市の図書館で「夫婦善哉」とミナミの音楽文化の話をしてしまったら、憑き物が落ちたように、自分の言いたいことと、大阪キタを拠点とする阪神間ブルジョワ音楽文化との距離感がはっきりしてきまして、逆に、阪神間が気になってきました。(他人様にはどうでもいい、個人的な感慨に過ぎませんが。)

とりあえず、新刊ではないですが、最近ようやく手にしてみたら大変面白かった一冊と、最近入手して内容にびっくりしてしまった一冊のこと。

『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』は、単に私が知らなかっただけで、タカラヅカ研究の最重要基本文献なのは、きっとその筋の人には周知なのだろうと思いますが、なかでも、特に所収の奥中康人さんの論考に刺激を受けました。

近代日本の音楽文化とタカラヅカ

近代日本の音楽文化とタカラヅカ

(もう一冊は、十河厳『あの花この花 朝日会館に迎えた世界の芸術家百人』という本で、そもそも著者の十河厳が誰なのか? 話はそこからだと思いますが(大阪の朝日会館で戦後館長をしていた人で、團伊玖磨が歌劇「夕鶴」を発表したときには、團伊玖磨と一緒に伊庭歌劇賞を受けています)、これは、長くなりそうなので、あとで別立てにして書くことにします。)

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書き出すと無駄に長くなりそうなのですが、「私とタカラヅカ研究」のような話を前置きで書きます。

阪大の音楽学研究室では、渡辺裕、根岸一美と東大美学出身のお二人が、どちらもタカラヅカを研究していらっしゃいました。で、私は当時、そこへは極力近寄らないようにしておりました。

理由は色々あって、どの道、要約しようとすると後付けになってしまいますけれども、

とりあえず、東大出の先生方が関西へ下ってこられて、そこでタカラヅカを発見なさる、というのが、なんだか、光源氏が須磨で明石の君に心癒される貴種流離譚を気取っているかのようで、感覚的に付いていけない思いであった、ということは言いうるように思います。(さながら、東京へも名前が轟いていた小林一三は明石の入道でしょうか……。でも、実際は「研究」名目でできたツテを頼ってチケットを融通してもらって、学生とともに本公演を観劇したりしていらっしゃって、そういうのはどうなんだろう、とも思っていました。意地汚い気持ちがうっすら透けるような感じがあって、それはタカラヅカ的ではないんじゃないかと直観的に思いましたし、本当に行きたくなったら自分で券を買っていく。そういうケジメがなければ、商売の筋目を大切にしていたと伝え聞く故・小林一三翁には顔向けできまい、と思うわけで……。)

関東大震災で関西へやって来た谷崎潤一郎が、扱い方によってはキッチュなりかねない芦屋のブルジョワ夫人の生活を悠然とした手つきで『細雪』にまとめてしまったのは流石だと思いますが、東京から来た知識人の関西への関心の抱き方の類型みたいなものに、先生方が猛然とはまりこまれてしまわれるのを見るのは、どこかしら物悲しい、「いとあさましき」ことでございました。

小林一三―逸翁自叙伝 (人間の記録 (25))

小林一三―逸翁自叙伝 (人間の記録 (25))

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それに、単に教官として赴任なさっただけの方はお気づきでなかったかもしれませんけれども、阪大にタカラヅカは似合わない……と私は思います。

阪大の文系学部は、圧倒的な規模と人数を誇る理系学部(とりわけ工学系)に囲まれて、陸の孤島のようになっています。今は多少雰囲気が変わっているのかもしれませんが、少なくとも私が通っていたころは、キャンパス内はどこへ行っても理系男子ばっかりで、彼らはいつも数学や物理の試験対策に追われて、研究室に配属されると、今日は実験で泊まり等々と言っていて、実際、卒業後は家電メーカーや各種ものづくり企業の研究開発部門へ就職して行きました。80年代は大学がレジャーランドになったと世間が評する時代でしたが、「ああ、ここは阪神工業地帯のエンジニア養成所なんだな」と実感せざるを得ない、レジャーランド臭の薄い(そのかわりに理学部の古い施設の爆発事故騒ぎが新聞に出るような)キャンパスライフだったのでございます。(その結末がオウム真理教に院生がスカウトされるということだったわけで、なんとも……。)

旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫)

旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫)

理系の阪大のシンボルは、やっぱりこの人でしょうか。

私の在学中には大学の創立50年記念事業として南太平洋の学際調査というのがあり、音楽学からも南の島々へフィールドワークの調査隊が出ておりましたが、そうした事業にはおそらく関西財界の支援があったのだろうと思います。日本企業の海外進出、輸出が好調で、貿易摩擦という言葉が繰り返し報道された時代です。(日本音楽学会が1990年に国際シンポジウムを大阪でやったときにも、阪大の谷村先生は、寄付金をいただくために本当に苦労して関西財界へのツテを探っていらっしゃいました。)

阪急電車沿線には大学がたくさんあって、阪大もそのひとつですけれども、当時の「大学レジャーランド」の論理で言いますと、阪大はとってもダサかったのでございます。(工学部ばっかりだし、地方から出てきて遊び慣れない子が多いし……。)関学とかとは最初から別世界で、国公立だったら、まだ神戸大生のほうがマシ、というようなことが囁かれていたようです。

大学一年から通っていれば、そういうことは骨身に染みてわかりますから、学生目線で言いますと、阪大とタカラヅカはちょっと違うんじゃないか、という感じを抱いておりました。

歴史的な因縁で言っても、大阪が煙の都(光化学スモッグの町)になりかけたところで、六甲の南斜面に逃げたお金持ちが作り上げたのが阪神間モダニズムで、取り残された大阪の工場に送り込むべき人材を養成したのが阪大なのですから、阪大が阪神間のブルジョワ文化を礼讃するのは、なんとも卑屈な話になってしまいます。店の後始末を押しつけられたかつての番頭が、今では芦屋で極楽生活を送っている主人筋のご一族にいつまでも頭が上がらない、みたいな感じがします。

谷崎の「細雪」は、その種の世間体や対面に異様なほど神経過敏に思いを巡らす芦屋夫人の内面を延々と綴る小説ですが、東京からいらっしゃった先生方は、やっぱりお作法が違うのかなあ、と思うのでした。(谷崎を読んでも、ブルジョワ夫人の内面の、今でも関西にはいる、と思わせられる、独特のねっとりした感触ではなく、会話のなかの関西言葉の柔らかい魅力とされるものが主に話題になるようですし、その種の濃密な人間関係の意識は、スキップされてしまうものなのでしょうか。)

今では、阪大は、万博の頃に開発された広大な吹田・千里キャンパスだけでなく、石橋のほうもきれいになっていますし、ファッションを哲学する倫理学の先生が学長で、平田オリザさんをお招きしたりして華やかなようですし。そう簡単に再浮上しそうにない大阪産業界に見切りをつけて、万博時代に夢みられていたような「最先端未来都市としての北摂丘陵」のイメージで行く方が、文科省のウケはいいのかもしれませんね。阪大音楽学がタカラヅカに遊んだのは、もう過去の出来事ということで。

童貞放浪記 (幻冬舎文庫)

童貞放浪記 (幻冬舎文庫)

小谷野さんは、阪大で理系学部のなかに孤島のように小さく集まっている人文系学部からさらに分離されていた言語文化部にいらっしゃったんですよね……。

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さて、そして『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』は、そんな渡辺・根岸時代の阪大音楽学にいた人たちが何人も寄稿しています。でも、読んでみますと先生方の観光地を見物するように浮かれた感じ(表面上は「研究」と称してそういうところを見せないのだけれど)がなくて、華やかなレビューの世界へ擦り寄っている感じでもなく、必要な情報が適切に配置されている良い本でした。

タカラヅカそのものを阪大生に触らせない/語らせない構成になっているところが良いと思いました。タカラヅカについては、編集の津金澤聰廣、近藤久美両氏や池田文庫に精通するスペシャリストが書いて、阪大生は、関西の軍楽隊と音楽隊のことを音大博物館の塩津先生、戦時中のことを戸ノ下さんが書いているのと同様の役割分担で、明治・大正の作曲における折衷派とか、関西の合唱運動とか、といった「近代日本の音楽文化」の部分が受け持ちになっていました。お行儀のいい本だと思いました。

しかも、女学校文化とか、タカラヅカをきっかけにして外の世界へ関心を開いていけるようになっています。タカラヅカは、学校があってスタッフも全部専属で、自前の雑誌があって普通のルートでの宣伝はやりませんし、徹底した自給自足のイメージがあります。(吉本興業も大フィルも、あるいは三代にわたって日本の音楽学校とは無縁であり続けている服部良一・克久・隆之ファミリーとか、大阪発の成功した興行体は、徹底した自給自足の傾向があるようです。)そのお客さんからは見えないけれども舞台裏に厳然と存在している壁を前にして、無理に扉をこじ開けたり、潜入・のぞき見したり、大物風を吹かせて入り込んだり、あるいは逆にお遊さま(谷崎「蘆刈」)にひざまずくマゾヒズム、というのでもなく、ごく自然に手掛かりを見つけて話題を外へ開いていくような配慮は、なかなかできることではないと思います。編集・構成が良いと思いました。

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そして奥中康人さんの「和洋折衷の明治音楽史」ですが、東京音楽学校が世評で言われるような洋楽の直輸入(いわば、音楽におけるヨーロッパ流の家元)一辺倒ではなく、実は、「直輸入派」と「和洋折衷派」がせめぎ合っていて、建学の趣旨から言っても、「和洋折衷派」こそが主流・正統だったのではないか、という恐ろしいことが書いてありました。

サントリー学芸賞を得た奥中さんの伊沢修二論(彼の「国民音楽」構想をめぐる論考)は、実はこういう見取り図のなかに収まるものであったようです。奥中さんは、伊沢修二の「国民音楽」構想を「和洋折衷」推進の支柱・綱領と見ているようなのです。

国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代

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片山杜秀の本(2) 音盤博物誌

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この見取り図の先に、やはりサントリー学芸賞を得た片山杜秀さんの、昭和の東京音楽学校における「信時潔楽派」論(片山さんの本のなかで、唯一、読み切りではなく3回連載になっている)を置いてみると、東京音楽学校の見え方が一変してしまいそうです。タカラヅカの第一作がどうして「ドンブラコ」だったのか、国民歌劇を目指した小林一三がどうして北村季晴だったのか、ということも、この構図を設定するとすっきり納得できてしまいますし。

北村季晴:おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)

北村季晴:おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)

  • アーティスト: 北村季晴,森康子,篠崎幹子,平木郁子,岡島由起子,杉林良美,宇野功芳,アンサンブル・フィオレッティ,佐藤和子,高柳未来
  • 出版社/メーカー: キング・インターナショナル
  • 発売日: 2009/05/27
  • メディア: CD
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今「ドンブラコ」をCDで聴こうとすると、指揮者としての宇野浩芳さんに対面することになるのですね。

東京音楽学校が学校唱歌の指導者養成機関であったことは、「東京音楽学校/東京藝大卒」が作曲家・演奏家のライセンスのように機能してしまう興行の世界を見ていると忘れがちであるように思います。洋楽に夢中になってしまった人たちが、学校を政府に作らせるために建て前・お題目として教員養成を言っていた、そういうところがあったかのように無意識のうちに思ってしまいます。少なくとも私は、漠然とそう思ってしまっていました。

でも、世の中には本音の建て前があるものだという紋切り型(特に日本はそうであって、表では立派なことを言っても、本音はエゴの欲望が渦巻いているのだ、という、松本清張流の社会派小説から戦後の体制批判、最近の「動物化」論まで繰り返され続けているドロドロした人間観)に毒されていては見えなくなるものがあるのですね。しかも、私は学校教育というものを本気で信じてはいない「お気楽大学生世代」(上記)だからタチが悪い。弱点・盲点を思い切り突かれたような気がしました。

かように心の汚れたわたくしは、和洋折衷の理想の先に、清く正しく美しく、すみれの花が咲き誇るタカラヅカとは、住む世界が違うのであろうと思います。子供の頃は「ベルバラ」を繰り返し読んで、タカラヅカの中継に見入っていたものですが……、いつから、こんな風にねじまがった人間になってしまったのやら。

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とはいえ、奥中さんの立論はかなり壮大な話ですね。

「直輸入派」的発想(ヨーロッパの本場さながらな音楽をできたるのが嬉しい、それがあれば十分、という発想)を注意深く取り分けていくと、洋楽150年を全部見直す、語り直すことになりそうで、一度やってみなければいけないことだとは思いますけれども、波及する範囲は広大。N響定期会員(定期公演は当然、外国人指揮者が振るものだ、という考え方があったとされる)とはどういう人たちなのか、とか、クラシック音楽の売り方やジャーナリズムの論調が依存していた価値観はどういうものであったのか、とか、名曲名盤論とは何なのかのか、とか、全部考え直さないといけなくなりそうです。(そういえば、奥中さんはかつて、あらえびすを論じたこともあったのでした。)

発想がそこで止まっている方は、決して高齢者だけでなくクラシック音楽の周辺にたくさんいらっしゃることでしょうし、今更別の考え方をしなくても、そうした方はそれで幸せなのだから、天寿を全うするまでそのままでいていただいてもいいものなのかもしれず……(あるいは反対に、クラシック音楽の現役・進行中の楽しみ方には、実は既に正しい「聴き型」など大らかにすり抜けることで、「和洋折衷」的な幸福の境地に達している一面がある、という立論があり得るかもしれず、これが「聴衆の誕生」以来の渡辺裕先生の持論なのかもしれませんが)。

あと、「和洋折衷」論と「国民音楽」論は、ワンセットだったからこそ強力だったわけですけれども(タカラヅカも、様式的には和洋折衷ですが、言語的にはきれいな標準語、きっとこれは偶然ではないのでしょう)、それじゃあこの先、和洋折衷には国民音楽の理念が漏れなく付いてくる、というやり方がどれくらい保つのか、見極めの難しい案件であるようにも思いました。

そんな風な立論の隙間を気にしてしまうから、タカラヅカにはあまり近寄らずに他のことを調べてしまうわけですが、奥中さんの「和洋折衷」vs「直輸入」の話は、伊沢修二の「国民音楽」問題と同じかそれ以上に大きい話のように思いました。