C. ヴォルフ『ヨハン・セバスティアン・バッハ 学識ある音楽家』と高橋悠治「高原の空気のように」(『柴田南雄とその時代 第1期』所収)

今日読んだ本と文章のこと。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ―学識ある音楽家

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ―学識ある音楽家

このヴォルフの本は、先日、大フィル定期の「ロ短調ミサ」解説を書くために購入して、そのときは期日に追われて直接関連するところだけ拾い読みしていたのですが、先程、気分転換に他の箇所も少しだけ見ました。

(なお、先日のヴィンシャーマン指揮大フィル定期は、特に前半キリエとグロリアに頻出するフーガが、あまりにもスローテンポで念仏のように粛々と進むので退屈のあまり死にそうでしたが、後半に入って、薄く軽やかな響きは、決してダレた演奏などではなく、アットホーム。教区教会の顔見知りが集まるミサだと考えれば、悪くなかったのではないでしょうか。そういう、いわば地域の恒例行事としてのバッハであれば、最新情報にもとづく解釈とか、演奏法のオーセンティシティで目くじら立てるものでもなかろう、と思いますし……。)

柴田南雄とその時代 第一期(DVD付)

柴田南雄とその時代 第一期(DVD付)

もうひとつは、前にも軽く言及した(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100818/p1)『柴田南雄とその時代 第1期』。出てしまった以上、資料として持っていなければ仕方があるまいと覚悟して購入。とりあえず所収の高橋悠治のエッセイについて。

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先の大フィル定期の解説では、ライプチヒにおけるバッハと楽譜出版の出会いという、ここにもやや茶化しつつ書いたことのある話をもう少しまじめにまとめてみました。

それなりに意味のある話ではないかと個人的には今も信じていますが、

(ヴォルフの本が活写するところによると、バッハの死の直後から彼の評価が当時の黎明期音楽ジャーナリズムで論争になり、一挙にバッハ支持が広まったようです。ジャーナリズムの主流が啓蒙/ギャラントであったとして、その前の克服されるべき時代の代表は誰だったのかという父親探し、ある種の生贄探しの動きがこれと同時にあって、メディア内言説における「音楽の父」(敬意を集めるとともに葬り去られるべきであるような)の位置をバッハは事後的に確立した、という風に見えます。そしてこのようなことがあったのだとしたら、バッハ受容は「はじめにジャーナリズムありき」であったという風にいえそうな気がします。)

でも、ヴォルフの伝記でライプチヒの大学のことを書いた第9章を読み、事態のせいぜい半分くらいしか視野に入っていなかったことを思い知らされました。「バッハ学」は、どこまでも精密に彼の周辺を掘り進んでいるのですね。(バッハ学の理不尽なまでの実証の情熱は、ドイツ・プロテスタントの実証的聖書研究と同形なのだろうといつも思います。)

書物としての新約聖書

書物としての新約聖書

バッハがライプチヒ大学学生の楽団、コレギウム・ムジクムを指導していたことはどの伝記にも書いてあり、おそらくこの事績にちなむ意味合いを含めてだと思うのですが、今も、コレギウム・ムジクムを名乗る研究演奏グループがたくさんあるわけですが、恥ずかしながら、これは、学生サークルがプロの音楽家に顧問や技術指導を頼んでいるようなものなのかと思いこんでおりました。

でも、ヴォルフの記述によると聖トマス教会とライプチヒ大学は密接な関係があったのですね。バッハがカントールとして監督していた聖トマス教会の生徒たちは大学への進学を準備していて、教官・スタッフも大学と重複していたのだとか。そして一方のコレギウム・ムジクムに参加する学生たちのなかには、神学部に在籍して将来は教会オルガニストやカントールを志望する者たちが少なからず含まれていたとのこと。サークルの顧問というレヴェルではないようです。

(このあたりの事情は、ヴォルフに教えられるまでもなく、バッハ学では常識かもしれないのですが、異教徒?の私は無知でよくわかっていませんでした。)

重ねて異教的な比喩になりまことに恐縮ではありますが、トマス・カントールという役職が本願寺の仏教音楽・儀礼研究所(実際に法要での音楽面を取り仕切るのもお仕事であるようです)のようなものだとしたら、コレギウム・ムジクムのほうは、仏教讃歌・仏教合唱をレパートリーの中心に据えていて、お寺の関係者が少なくなかった龍谷大学と京都女子大学の龍谷混声合唱団みたいなものだったのかも……。

龍谷混声は、戦後、京女の上村けい先生が盛り立てて、指揮者を林達次さん(バッハの人!)が長く務めました。大栗裕はいくつかの合唱曲・仏教讃歌を同合唱団のために書いて、亡くなる直前には、1年間だけですが、林達次のあとを受けて常任指揮者もしていました。バッハは、小野功龍先生(四天王寺雅楽の伝承者で今は仏教音楽研究所の所長)と上村けい/林達次と大栗裕を兼ね備えるような仕事をしていた、ということなのかもしれませんね。

バッハ評伝を大栗裕に引きつけて読むのは、ほとんどノイローゼ、異教の悪魔にかどわかされた妄言とお考えの向きもあるかと思いますし、上の比喩はごく少数の仏教洋楽関係者以外には意味不明で実感に訴えないものかもしれませんが……、ともあれ、バッハのライプチヒでの晩年の百科全書的大作志向を、大学の知的風土との接触と関連づけるのは、ハーヴァードで教えているヴォルフらしくもあり、説得的な説明だと思いました。

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なお、当時のライプチヒではニュートンが尊敬されていたのだとか。ニュートンの自然科学の背後には強烈な神学的確信があったらしいことは最近ではよく指摘されますし、17世紀の科学にいわゆる近代科学と違う不透明ななにかがありそうだということは先日亡くなった森毅の啓蒙書でも早くから指摘されていましたが、なるほど、こういうことかと格好の具体例を知った思いでした。

自由都市ライプチヒにおいて、経済と学問(大学)が両輪のような存在であり、同時に大学と教会が密接な関係にあり、さらにそこにはニュートン崇拝があった……というのは、社会学の開祖マックス・ウェーバーのプロテスタンティズムと資本主義という有名すぎる見立て(「プロ倫」と略されるところが、いかにも、「カルスタ」のご先祖様っぽい)とは違ったアングルから近世をみせてくれて、興味深かったです。(ウェーバーのお話は観光地で観光ポイントを過不足なく押さえたありがちの写真、ヴォルフのライプチヒは同じような場所・時代なのに新鮮なアングル、という感じがします。)

数学の歴史 (講談社学術文庫)

数学の歴史 (講談社学術文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

堅実に途方もない情報を積み重ねることで、宗教音楽の大家に実証研究からアプローチすることが不可能ではないのだ、と教えてくれそうな本。(まだ、数章しか読んでいない段階ではありますが。)

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『柴田南雄とその時代 第1期』は、ブックレットの最初にあるオープンリールテープ群の写真や、60年代、70年代音源の音の質感に、日頃、音大の大栗文庫で扱っている録音資料類に近いものを感じて、ちょっと嬉しかったのですが……、

(録音機が民生で普及した戦後のプライヴェート・テープは、探せば膨大に各地各所に死蔵されているに違いなく、資料的な価値がこれから増してくる分野だと思っています。現行の著作権法では、活用にはやっかいな問題がつきまといますが……。)

それはともかく、ブックレットの解説は作曲者自身のもの、もしくは、初演時や重要な再演時の文章が使われていて、ほかに、いくつか関係者のエッセイが寄稿されています。

高橋悠治のエッセイにはこんな文章が。

音楽活動をはじめた時に第2次世界大戦に遭遇し、戦時体制を経験した世代の日本の音楽家の屈折には、平面的なみかけが遮断幕のように作者の位置を隠している、そんな生きかたが滲んでいる。

1916年生まれの柴田南雄の一面をスッパリ言っている言葉だと思いますし、1913年生まれの吉田秀和はどうなんだろう、とか、大栗裕にも遮断幕があるのかなあ、とか、色々連想が広がってしまいます。

(念のために言い添えると、高橋悠治はこの一文で柴田南雄を切り捨ててしまって終わり、というのではなく、このあと、さらに違った角度からの考察が続きますので、そこは現物でご確認ください。定価10,000円で、なかなか手が出しにくいものではありますが。)

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なお、柴田南雄の自作解説には、「この技法を使ったのは私が最初だと思っていたのだが、のちに、○○が既に××という曲を書いていたことが判明した」というような書き方がときどき出てきます。ああこれが、世評でしばしば指摘される、柴田南雄のクールな(クールすぎるほどの)自己の客観視の一例か、と思いました。

一瞬、「この人は、技法上の一番乗り=一等賞をそんなに重視していたのか、いかにもエリート・東大生」と嫌な感じがしますが、そうではなくて、世間ではそういうことを言う人が多いので一応書いておく、という、周囲に起こりうる雑音への予防線なのでしょうね。

ただ、名誉欲はないかもしれないにしても、新作を書く/発表するときに、「こういうことは、誰かがやるべきなのに、まだ誰もやっていない、だから、別に功名心があるわけではないけれども、とりあえず、やっておく」というような役割意識があったような感触は残ります。その「誰かがこれをやっておくべき」の役割意識は、世界の状況を俯瞰する選良の発想だろうと思います。(それがダメだと言うわけではないですが。)

逆に思うのは、柴田南雄の場合、私はこういうものが好きだからこれをやる、面白いと思うからこれを書く、という衝動から作曲することがあったのだろうか、ということです。私は柴田南雄に関してそういう例を知らないのですが、実は私が知らないだけでそういう、彼自身が(趣味の鉄道模型と同等に嬉々として)楽しんで書いた作品があったのか。あるいは、そのような「歴史的意義」の見つからない作品は、書いても発表しないで手元に留めたのか、というあたりを知りたいと思いました。

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音楽を作品の歴史的価値や美的品質で測るような見方が前衛・実験音楽を鋼鉄の掟のように支配していて、作曲者の人格から作品を切断する価値観を維持する関係上、作曲の「動機」は作品の構想や素材に反映する範囲内でしか顧慮されない傾向が今もあるようです。(そしてそのようなモダンな価値観を逆照射する形で、音楽史そのものが、戦後、過去に遡って大幅に書き換えられて、「学術的」を標榜する西洋音楽史からは、大作曲家の偉人伝の側面が大幅に取り除かれて今日に至っています。渡辺裕先生の考える耳は、音楽の文化史のあれこれを掘り起こしていらっしゃいますが、モダンな音楽美学の強力な発信源のひとつはおそらくこの「シリアス作曲」の栄光の戦後史!だと思われ、この最盛期が去ったといわれつつ既得権的なものが残り続けている装置の処遇をちゃんと考えなければダメだろうと思われます。渡辺先生には、個人的な面識もおもちであったと伝え聞く柴田南雄について、東京・大学文化人の昭和史を視野に収めた「文化史としての柴田南雄」を是非書いていただきたいです。)

随想

随想

蓮實重彦が「わたくし」の父のこと、東京大空襲のこと、中村光夫のことなども書いていて、「わたくし」が後期小津映画の作中人物のような東京山の手の家の人だったことがわかります。

どこかしら禅に似た感じを与える「音楽の心頭滅却」、つまり、「音楽外」の事象(作者人格を含む)の括弧入れこそが「シリアス」であるということになっているようです。そして、アートという言葉はすり減ってしまいましたが、そのかわりにこのような「シリアス」を立てておけば、哲学系美学(あいかわらず現象学は評判が良い)とも共闘できますし、クラシック音楽の末裔を、どうにか娯楽音楽/商業音楽とも区別できる。

でも、事実として、未だに多くの音楽は「作者」と骨絡みになっていたり、「動機」や「感情」を引きずっていたりしますし、柴田南雄のように作者自身が「遮断幕」を張っている場合には、俗人であるわたくしは、かえって「幕」の向こうに何かがあるのか、気になってしまいます。それが人情というものでしょう? おてんば、通俗大好き♪

(たとえば柴田南雄CD/DVD集は、純粋に芸術的動機によるというより、ご遺族の積極的な意志によって実現したわけですし。そのことを知っていて「括弧に入れる」のがいいのかどうか。奥様はホームページを作って柴田南雄のこと、柴田家のことを色々とまとめていらっしゃいますし、単に学者一家ということではなく、そのように、ことあるごとに覚え書きを残し、手記を綴る風土というのが何なのか、ということに、たとえば私は興味を覚えます。柴田南雄の記録癖は、ただ彼個人の性癖ではないような気がしてきますし。)

仮に「シリアス」の側へ徹底するとしても、ドイツ人学者は、はるばる経験論とピューリタンの新大陸に渡って、バッハへの頑強な宗教的敬意と実証的な研究をとことんせめぎ合わせることに人生を費やしているわけですし、神のいない「空」の世界の絶対者なのかもしれない「シリアス」への情熱と、タブーを作らない実証をもっととことんまで付きあわせていいのではないかという気がします。

「裏話」化してしまっている事柄(実際には表に出ていないけれど関係者の間では周知、みたいなことが作曲の世界にも色々あるみたい)を表に出すようなルートを少しずつ作っていったほうがいいし、それらの情報は、決して「音楽に無縁」とはかぎらない場合が、通常思われているよりも多い可能性が高い。「遮断幕」は、なしで済ませられるならば、それにこしたことはない、と私は思っています。やる前から「私は作品外のことに興味はない」と宣言する精神というのが、私には倫理的に不審です。

(まあ、私に「倫理的不審」と言われたからといって、私が勝手に言っているだけで何ら実害はないでしょうし、誰も相手にしないとは思いますが(笑)。本気でそういう人生を歩むのは立派なことだと尊敬しますが、口先でそういう立派なことを言って何かに幕を張るような人を私は信用しない、というだけのこと。言葉の煙幕は嫌い、というだけのことです。言葉の煙幕を張られたら、相手が誰であろうと、相手がそのようにせざるをえない理由があろうと何であろうと、即刻その人とは縁を切ることにしております。戦中派の人の煙幕はしょうがなかったかもしれないけれども、21世紀の今、どうしてそんなことをするのか意味がわからない。ウソはしょうがないけれども、煙幕は許しがたい。偏った考え方だとは思いますが……。)

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一方、ヴォルフのバッハ論は、本そのものはクソマジメをどこまでも実証を突き進んで、突き抜けた感じなのですけれども、この本がアメリカ・インテリの宗教的風土のなかで結構評判がよいらしく、春秋社からクリスチャンと思われる方の手でおそらく採算度外視な充実ぶりで周到に翻訳されている事実は、本の内容自体とは別の何か迫力を感じさせますね……。

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以下、最後にちょっと話が逸れますが勢いで書いてしまいますと、

松下眞一の音楽は、技法的にはもうアクチュアルではないところもあって、どこかしら中古品というか、アンティークなパソコンを久しぶりに起動した、みたいな感じになるわけですが、その分、どうしようもなくこういうことがやりたかったのだろう、と冷たい情熱が透けて見える瞬間があるような気がします。(やたらめったら一生懸命なところがカワイイ、という感じ。ときどきお澄ましして、恥ずかしいくらいリリカルになったりしますし。)大栗裕だったら、これはもう、曲のあっちこっちで「どや、おもろいやろ」と作者が目配せしているように感じます。

一方、趣味・好みの問題なのかもしれませんが、池内友次郎だったら「和臭」と呼ぶかも知れないその種の俗情を一切除去するタイプの音楽は、往々にしてやり過ぎてしまって、「臭い」そのものが全部消えてしまっているように感じて、私はちょっと苦手です。取りつく手掛かりがなく、どうぞ後勝手にと思ってしまいます……。

柴田南雄のCD/DVD集では、「優しい歌」が印象的だったのですが、これは、曲が良いのか、演奏が良いのか(小林道夫のピアノは素晴らしい!)、ちょっと判断に迷います。