「阪神間」へ入れていただくことができるものやらわからぬままに

美学会シンポジウム http://www.kwansei.ac.jp/human/bigaku/bigaku61/ 終わりました。

わたくしは、およそこういう報告をさせていただきました。

「阪神間」の作曲家、大澤壽人(1906-1953)と貴志康一(1909-1937) http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/bigaku20101010.html

美学会全国大会へ行くのは約15年ぶりで、この学会では、穏健な構図のなかに収まる話題を、程よく新鮮な視点から語る「お作法」が大事だったはず、というイメージが頭にありまして、ちょっとのんびりしすぎており、あまりにもヌルい話になっているとあとで反省しましたが……。ひとまず。

(たとえば、大澤壽人がピアノを学んだルーチン、貴志康一が師事したヴェクスラー、小倉末子らを指導した神戸女学院のデフォレストといった神戸・阪神間の外国人音楽家たちをリストアップして、演奏が残っている場合はそれを聴いてみる、といったことをしたほうが、シンポジウムのプレゼンとしては良かったかもしれませんし……。そもそもシンポジウムの報告というのは、内容を緩めで隙間を作っておいたほうが、前後の他の方のご報告と関連づける即興の余地ができてよさそうですね。次にどんな場があるかわかりませんが、今後の課題。)

大阪市立美術館の土井久美子さんのご報告がシンポジウムの白眉だったと思いますが(夙川のヴォーリス建築のかつての写真を示しながら、「おそらくこれは私の家の隣りにあったか、あるいはつぶして家を建てたはずで」と淡々と説明して、それが嫌味にならない存在感というかお人柄は感動的)、打ち合わせの段階から打ち上げまで、関学関係者の方々のちょっとした話題の選び方とか物事の進め方とか、そういった細部を含めたところに「阪神間」を体感するヒントがたくさんある、という気がして、本当に良い機会を与えていただきました。

具体的なことはいずれまた。

ただ一点、今回は通り一遍の話になりましたが、「阪神間」の生活文化のなかに音楽がきれいに収まっている感じを目に見える形ですくい上げようとしたら、お稽古事としての音楽がどこでどういう風に広がっているのか、なかに入れていただいてお話をお伺いするようなことからはじめるといいのでは、という話が打ち上げで出ました。これは、忘れないようにメモする意味で、ここに書いておくことにします。