作曲家の没後10年以内は、おそらくまだ「喪」が明けていない、ではそのあとは……?

[ http://d.hatena.ne.jp/aesthetica/からいらっしゃった方はこちらへ飛んでいただいたほうが話が早いと思います。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101024/p1 ]

有名人なら誰でも毀誉褒貶あって当たり前。[...]その中で柴田南雄はそういうことを全くといっていいほど言われない珍しいタイプ。誰に対しても態度が変わらなかったのも大きいだろう。

http://yohirai.asablo.jp/blog/2010/10/20/5427272

武満徹のブランド力が最も高かったのはおそらく死後10年前後であったし、大栗裕も1980年代後半から死後10年目くらいまでに吹奏楽でのブームがありました。没後十年前後というのは、遺族・関係者が動いてくれさえしたら、作曲家を顕彰するのに丁度良い時期であるようです。

で、柴田南雄は没後14年。微妙なタイミングですね。合唱のコンクールに「シアターピース部門」を作った例などもあるようですが……、往年の合唱のすそ野に支えられた柴田ブームが来るのか???

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あくまで一般論として、死後ただちに滞りなく顕彰・回顧がなされる場合、そこには純粋な作曲家の力に加えて、遺族・関係者の力が大きいはず。

武満徹であれば、岩城宏之のような人がいて、武満徹・黛敏郎の死後顕彰を献身的にやっていましたが、そういうサポーターの立場の人が天寿を全うしてようやく、作曲家を冷静に語ることができるようになった。武満徹の場合は、はっきりそう言えるのではないでしょうか? 実験工房時代からの友人、湯浅譲二さんが口を開くようになったり。

未聴の宇宙、作曲の冒険

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このタイミングで湯浅さんに話を訊きに行くのは、西村朗の立ち回りが上手すぎる気もしますが……。

一方、文学の場合、作家の死後、もっと長い期間にわたってその名声と伝記をコントロール(やや強い言葉でいえば「検閲」)するご遺族がいる場合があるようです。

谷崎潤一郎伝―堂々たる人生

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現代文学論争 (筑摩選書)

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文豪谷崎潤一郎、ノーベル文学賞の川端康成、なぜか絶大な人気の宮沢賢治、それぞれに、キャラの立ったご遺族がいらっしゃるようで……。

立派なお葬式や年忌に参列したら、あの人は良い人だったと言うのが礼儀なのでしょうし、没後10年くらいまでは、おそらく「まだ喪が明けていない」のでしょう。

で、死後14年という微妙なタイミングでの柴田南雄リバイバルは誰が何を仕掛けているのか、ただの偶然なのか。岩波がアドルノとか渡辺裕関係の音楽本を現代文庫で出してそれなりの手応えだったから、それじゃあ次は柴田南雄ということなのか。それとも、「ご本人のお人柄ゆえのこと」と上品にお慶び申し上げるべきことなのか?

この本の解説を書いているらしい田中信昭さんは、タケミツにとっての岩城さんのように、柴田南雄の、いわば、音楽上の葬儀委員長を買って出そうな立場の人だったわけですが、彼が存命の間は、永久に柴田商品に田中さんの音楽的弔辞が付いてくるのでしょうか?

(別に私は柴田南雄について具体的に何かを知っているわけではなくて、むしろ……なんと申しましょうか、吉田秀和、柴田南雄から渡辺裕、吉田寛(←と、こんなところに唐突に名前を出して申し訳ないけれども、私は大論文の後半だけちょんぎって出版された『ワーグナー』には書物として根本的な欠陥があると思っています)まで、東大出身の音楽関係者の身の処し方への不信感のようなものがあって、何ら客観性を持ちはしませんけれどもそんな個人的なバイアス、独断と偏見から、柴田南雄を誉める風潮をホントかなあと遠巻きにしているに過ぎませんが。

柴田南雄の身の処し方は、どこかしら帝大講師から朝日の専属作家になった夏目漱石に似ているのではないでしょうか。言文一致とか自然主義とか、明治の作家たちが試行錯誤を色々やって情報が出揃ったところで一番美味しそうなところをヒョイとすくい上げて、なおかつ、博士号を辞退して新聞小説家になったことで「国民的作家」のポジションを得ることができて……。明らかにズルいのだけれど、そんな風に言わせない規制がいつの間にか周囲に出来上がっている感じ。なにしろ不倫や三角関係の小説を次から次へと朝日新聞に書いた人が「則天去私」でお札になるのですから、ものすごい神話作用です。

柴田南雄のシアターピースは、「音楽の骸骨」のハーモニーが全体を霊気のように制御していて、今聴くと、逃げ場のない「恐さ」を私は感じます。自由に素材を散乱させているようでいて、実はすべてが、不可視の赤外線レーザー防御システムに似た柴田流のメタ音階理論で管理されていて、なんだか、アクション映画にしばしば出てくる秘密要塞みたいな感じがします。自由度が高いといっても、指揮者の合図で音響の様相を切り替える「中央集中官制システム」ですから、指揮者は、ボタン一つで秘密兵器を発射できる闇の帝王みたいなポジションだとも言えるわけで……。そして実際、シアターピースの演者には「笑顔」がない。某氏だったら、ここにもゾンビが!とか言うかもしれない……。

まさか、作者が戦時中に何らかの情報管理の仕事をしていたトラウマがこういう形で現れているわけではないでしょうけれど……、彼の音楽は、全体の制度設計という官僚風の発想から最後まで抜け出ていないと私は思います。高橋悠治は、高原の爽やかな風を感じるとフォローしていましたが、それは、息の詰まる地下要塞に身を潜めているがゆえに希求してしまう開放願望のようなものだったのではないかという気がします。

片山杜秀はマーラーへの愛着から柴田南雄を肯定的に読み解きましたが、一方で彼はバルトークの晩年の調性回帰を作曲家としての妥協・後退とみる人でもありました。そのようなバルトーク観は彼一人のものではなく、バルトーク論ではむしろ主流の見解ですけれども、おそらく柴田自身は、指揮者が「千人」を制御するマーラーの後期ロマン派風誇大妄想を許容しても、アメリカ流多元社会(マーラーも最晩年にそこに触れた)とは無縁の人だったのではないでしょうか。柴田南雄がハリウッド映画やジャズに言及した文章は残っているのでしょうか?)

1968年文化論

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マイク・モラスキーが、石原慎太郎・黛敏郎と谷川俊太郎・武満徹というあとから考えると水と油のように思える人たちのグループ「若い日本の会」に、共通体験としてモダン・ジャズの洗礼があったことを指摘している論文が面白かったです。

貴志康一 永遠の青年音楽家

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毛利さんは、貴志康一が実はレビューや流行歌を試作していたのに、死後、お母様がその種の「俗悪」な楽譜を全部焼却してしまった、との情報を得ているようです。作曲家のご遺族には色々な思いがあるようで……。