アプレゲール武満徹

武満徹 自らを語る

武満徹 自らを語る

1990年9月末、武満徹の還暦の年のロングインタビュー。『マリ・クレール』同年11月号に一部は掲載されたけれど、これは元録音から起こした完全版だそうですね。今年初めに出ていたようですが、最近知りました。

武満:最初の貧乏物語っていうのは、あまり面白くないんじゃない?(笑)

これがインタビュー中の武満の最後の一言ですが、その「貧乏物語」部分、戦後1950年に「2つのレント」を発表するまでの15歳から20歳までの五年間を本人がどう語っているかが、私には一番興味深かったです。

発言は断片的で、どうやらここでもまだ語っていない音楽歴のエピソードがあるらしいと伝え聞きますが、それでも、家出同然の東京一人暮らしで、清瀬保二や滝口修造のところへ入り浸る放蕩少年、アプレゲールですね。

その後のよく知られたあれこれも、彼が生前に発表したスタイリッシュな文章と比較すると、当人が醒めた認識を詩的に神秘化して表に出していた様子が見えてくるのではないでしょうか。それが悪いというのではなく、ほぼ素人がアングラ界から表の世界へ出ていくために、これはひとつのやり方であっただろうと思います。

「絵が浮かぶ」とか、自分の作品には無数の「小見出し」が付いている、という発言も、(私個人の関心としては大栗裕の場合と引き比べつつ)コンセルヴァトワールのエクリチュール教育によるのではない音楽的想像力の在り方としてリアルな発言だと思いました。数理形式はハイになりすぎる自分を縛るため、という言い方も湯浅譲二の「数理的な説明はいい格好してるだけ」という指摘とある意味符合する。(「音の河」とか「回廊形式」とかいう詩的レトリックに全面的にのってしまうと、武満神話に幻惑され、取り込まれてしまうということですね。)

いわゆるクラシック系作曲家の生涯というより、ロックスターの生き様に近い気がしてきますね。エリントンを本気で尊敬していた、という話もありますし。

ただし、そろそろこういう話を出しても大丈夫と還暦の武満徹が1990年に判断した、ということでもあると思うので、ここで語られていることすべてを「本音」と単純に見るのは素朴すぎるとは思いますが。

新たな「アプレゲール・タケミツ」伝説が生まれてしまいそうな感じがあり、「この戦後貧乏物語があればシュトックハウゼンにも対抗できる。これからオペラ書いて、テープ音楽も再開して、いよいよヨーロッパに本格的にタケミツを売り込むぜ!」というステージに彼がいた時期だったのかもしれませんし。ユニヴァーサル・エッグとか、まるでのちの村上春樹がノーベル文学賞候補をほのめかしつつ壁にぶつけたみたいな比喩まで口にしてしまったりして……。(そういえばこの前後から小澤征爾もウィーンに売り込まれていったわけで。=バブル終末期。あ、そーいえば、センチュリー交響楽団設立もこの頃っすね!)

M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究

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スターの自己神秘化(著者の言うミスティフィケーション)の機微を語る本といえば、これ、ということでよろしかったでしょうか。エレガンス方面は、わたくし疎いですが。