レコード歌謡・笠置シヅ子・ダンスホール(「演歌は日本の心」を留保するなら、「みなさまのNHK」イメージや、竹中労悪人説にも留保が必要かもしれません)

道頓堀ジャズや関西のダンスホールとレビューや服部良一の活躍を伝えてくれる本、奇しくも表紙のデザインが似てしまっている二冊が相次いで出たので、早速購入。

ニッポン・スウィングタイム

ニッポン・スウィングタイム

ブギの女王・笠置シヅ子―心ズキズキワクワクああしんど

ブギの女王・笠置シヅ子―心ズキズキワクワクああしんど

あまりにも面白かったので、もっと知りたくなって、あわせて瀬川昌久さんの本も、(最近は本がすぐ品切れになるので)買えるうちにと思って入手しました。

舶来音楽芸能史―ジャズで踊って

舶来音楽芸能史―ジャズで踊って

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個人・機関のSPレコード・コレクションがあちこちに存在することは学生時代から知っていましたが、今はもう、たとえばYouTubeで探せば有名な音源の多くを聴くことができますし、一般向けの単行本に情報をまとめることができる段階まで来たのですね。

毛利さんは貴志康一の伝記をまとめた大阪の方で、レコードやダンスホールについて、関東と関西を等分に書けるところが強みなわけですが、

それ以上に、NHK(JOAK)黎明期のジャズ番組に着目したところが印象的でした。アメリカ帰りの堀内敬三のジャズ番組の話を読むと、黎明期のNHKに、のちの公共放送のイメージには回収できないところがあったらしい気がしてきます。

NHKの現場を支えた職人的な人たちの回想や証言を読む場合にも、これに似た感触を覚えることがあります。NHKが唯一の放送局であった時代には、放送局の性格が、あとの時代とは違っていたのではないか。そして古株の放送関係者の間には、この気風があとあとまで残っていたのではないか。そんなことを思いました。

(NHKというと公共放送で、ある種の「建て前」を崩さない窮屈な放送局だというイメージがあって、「演歌は日本の心」という神話を疑う輪島裕介さんの本ですら、「みなさまのNHK」という揶揄的な表現が疑いなく使われています。輪島さんの本は、レコード歌謡については様々な言説を中立的に扱う配慮が行き届いていますが、面白い本にしようとする配慮=読者サービスを優先したせいなのか、NHKや左翼についての記述には、その性格を一面的に決めつける書き方が出てきますね。

でも、毛利さんによると、そもそも昭和のはじめのラジオ放送立ち上げ時には、財界にラジオを民間でやりたい意向が強かったようです。(これはNHK関係者による年史などにも出てくる事実で、大阪の放送局が株式市況を大量に流したのは、そうした財界のニーズに応えたものと思われます。)そして放送内容については、局側の案を管轄官庁が検閲して指導・変更させるという形だったようです。

「みなさまのNHK」という揶揄的なイメージは、「公共性」という名の下に、放送局が外部から判断基準のよくわからない自主規制をしていること(事実上の検閲の責任主体が曖昧になっていること)に由来すると思われますが、そのような体質が最初からあったわけではないかもしれない、ということです。

「みなさまのNHK」というイメージは、(1) 戦時翼賛体制が、イデオロギーを反転させながらシステムや人脈としては戦後も受け継がれたこと、そして、(2) 戦後はじまった民間放送がNHKを先行する巨大なライヴァルとみなしたこと、などの結果かもしれない。「演歌は日本の心」を疑うような言説史研究が、「みなさまのNHK」という言葉を安易に使ってしまうと、片手落ちということになってしまうかもしれませんね。)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

美空ひばりには言及するけれど親族には深入りしない(後述)とか、藤圭子の「創られ方」は検証するけれど、現役商品(今売っておかなければ!)である娘の宇多田ヒカルには言及しないとか、攻めすぎず掘り下げすぎないところが、NHKや新旧左翼・全共闘との距離感とあわせて(「うたごえ」と労音の区別が曖昧で漠然と左翼扱いだったり)、「話のわかる学者さん」ということで、2010年の本として結果的にちょうどよかったのかなあ、と思います。話の筋を通そうとする態度が、いい人っぽく見える本。

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笠置シヅ子評伝は、書き手の思いがにじむ「読み物」の性格が強い本ですが、後半で、竹中労の美空ひばり評伝(笠置シヅ子が芸能界の旧世代の女帝に仕立て上げられているらしい)が丁寧に読み直されています。

竹中労の本が、美空ひばりに仮託して竹中自身の民衆歌謡史観とでもいうものを語ろうとしている、という見立ては輪島さんの本と共通しますが、著者はここでもうひとつ、竹中労の情報源が美空ひばりの母親にコントロールされていた可能性に着目しています。輪島さんの本では、五木寛之と竹中労が、演歌のイメージを方向付ける動因のような位置づけになっていますが、もしかすると、竹中労も、美空ひばりを表に建てる人々の情報コントロールによって操られる駒のひとつだったかもしれないということです。

五木寛之は、彼の小説にインスパイヤされた歌手、藤圭子の登場で、事後的に利用されてしまったそうですが、竹中労の場合は、彼のところへ流れてくる情報が事前にコントロールされていた可能性がありそう。

若い人はあまり知らないかもしれませんが、竹中労本人が晩年にテレビでしゃべっている様子は、言葉は勇ましいけれど、どこか憎めないおっちゃんに見えたものでした。信念によってこうと決めたらテコでも動かぬイデオロギーの人、というよりも、案外コロリと芸能界の人たちの掌の上で転がされてしまうイメージのほうが、本人のキャラに似つかわしいかもしれません。

完本 美空ひばり (ちくま文庫)

完本 美空ひばり (ちくま文庫)

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瀬川昌之さんの昭和ジャズの本は、今ではもはや観ることのできない当時のナマのステージに関する記述に圧倒されました。「ブギの女王」になる前の笠置シヅ子や、かつて細川周平さんが「爆発的」と形容した服部良一の活躍とか。

エノケンの活躍はもちろん、吉本興行の音楽バラエティにおけるジャズというトピックまで出てきます。

輪島さんの本は冒頭で「今では私たちは音楽をもっぱらレコードで楽しんでいるが」という記述があり、そんなことないだろう、といきなり違和感があったのですけれど、まして昭和前期のポピュラー音楽現象のなかで、レコード歌謡はその一端を記録したものでしかない、ということを忘れてはいけないと思いました。

あと、瀬川さんは、しばしば「こうしたステージは大学出のインテリにも評価された」という書き方をしています。上は皇族・華族から下は丁稚や女中さんまで、日本にははっきり階層があったわけで、ダンスホールはサラリーマンが月1回程度通うような、それなりのハレの場だったようですから、ダンスホールの常連の遊び人は、富裕層であるか、さもなければ、身を持ち崩した道楽者ということであろうかと思います。(大正時代に義太夫にのめりこんだ旦那衆が、昭和に入って、モダンな遊びに乗り換えた、ということだったんじゃないでしょうか。)

蓄音機を所有してレコードを集めて、さらには輸入盤にまで手を出すというのも、相当、金のかかる道楽だったはずです。

岡田暁生の「レコードの出現で、音楽を台所で楽しめるようになった」とか、「音楽的教養のない階層がまっさきにレコードに飛びついた」というのは、おそらくウソですね。

ポピュラー音楽の大衆化のプロセスを考えるときに、いつ頃のどういう階層の人の話をしているのか、そこを忘れたり、隠したりしてしまうと、話がおかしくなるので、要注意ですね。

そういえば19世紀のウィンナー・ワルツだって、教養人がシンフォニーを楽しみ、無教養な大衆がワルツやポルカに興じたわけではなく、どちらも社会的には同じブルジョワ階層に支持されていたはずです。国民楽派や都会の音楽家たちが注目した農村のジプシーやクレズマーの音楽も、土地を所有している地域の有力者が楽師を雇って演奏させていたのだから、ロマンチックな「民衆」のイメージでは語れなさそう。中世の騎士歌人や彼らに雇われていたジョングルールを現代のシンガー・ソング・ライターやストリート・ミュージシャンの元祖と考えるのも、たぶん、ちょっと怪しそうですよね。現在まで歌詞や楽譜が残っている音楽は、もっとずっと支配階級寄りのものだろうと思います。

黒人のブルースも、南部の抑圧された奴隷の心の叫びというより、今の形の原形は、南北戦争の奴隷解放後で、解放されたはずなのに現実はそうなっていないトホホ感の表象と考えたほうがいいようですし……。

非抑圧者のナマの声が音楽として現場からダイレクトに届くということはそう易々と起きることではなく、ポピュラー音楽の隆盛は、かならずしも新しい階層の台頭とリンクしているわけではない。「演歌は日本の心」を神話として疑う主張は、そのあたりを解きほぐす最初の一歩だろうと思います。で、輪島さんの本では、その種の神話から解放されたレコード歌謡アーカイヴを楽しむヴィジョンが最後に提示されるわけですが、

一方では、それでもなお「日本の心」というような言葉が出て来てしまう動因とか、そこに何かがあるかもしれないけれども表象化できないメカニズムとか、突き詰めるとそこまで話が広がっていくのではないでしょうか。「演歌」は、ドラムセットが入って、ばっちりコード進行があるのだから、音楽としてはむしろ公然と和洋折衷です。「日本の心」の「神話」に幻惑される夢から覚めたとして、一番謎めいていて解明が大変なのは、どうして人はこれほどあっさり「神話」に幻惑されてしまうのだろう、というところだと思うのです。誰かが黒幕であったり、「環境管理権力」風な業界の誘導メカニズムであったり、というところで解決なのかどうか。

(このあたりの話を少しずつでも可視化するために、私は、一見遠回りのようですが、その気になればすぐにとりかかれる案件として、「帝大音楽人の知識人社会学」が必要だと思うのです。東京や京都の帝大を出て音楽に手を染めた人たちは、どういう階層の出身で、音楽とどういう縁があったのか。そのあたりの情報をまとめておいてくれたら、彼らの書いたことのバイアスを測定する作業は、格段に楽になるはずです。

そうやって、薄い皮を一枚ずつ剥いでいくのが、学問=科学の手順というものだと思いますし、これから音楽について書こうとする高学歴研究者の方々にとっても、「自分のことを棚に上げてしまわない」一種の倫理の縛りとして、この視点は意味があるのではないか。

「自分探し」が学問に反映するのはある程度仕方がないことかもしれないけれども、過去の著名人に自己を重ね合わせて「影響の不安」とか書いてしまって表象レヴェルの物語を作るのではなく、対象にアプローチする方法論を鍛えながら「私」の位置を探り当てる、というやり方があるはずだと思うのです。

[以下、追記]

日本のクラシック音楽は、ピアニストで哲学者のケーベル先生の例とか、東京音楽学校の歌劇上演に文物として日本の知識人に蔓延していたワグネリズムの影響があったように、東京音楽学校の実技と、東京帝大の教養が両輪のようになっていたのは、明治政府が推進したのだから当然といえば当然のこと。

一方、ポピュラー音楽は、浅草オペラに帝大卒の伊庭孝や音楽学校の佐々紅華がいたり、音楽学校出身の流行歌作曲家の中山晋平、帝大卒で新響からジャズに転向した紙恭輔、東京帝大卒で冗談音楽の人・三木鶏郎など要所に高学歴の人はいますが、現場には少年音楽隊上がりの人とか多いし、学生といっても慶応ボーイとか、明大マンドリン部の古賀政男とか、私学出身の人が目立つような印象があります。都会の流行は、お金持ちのお坊ちゃんたちが作るということでしょうか。留学・遊学したり、最新の輸入品に敏感に反応したりして。

で、そうすると、今、社会学のリクツと民族音楽分派がタッグを組んで、高学歴の博士様がポピュラー音楽に参入しているのはどういう理路なのだろう、と素朴な疑問があるのです。大衆文化こそが現代の教養だ、ということで押し切れるのかもしれませんが、なんとなく、虫の良い話のような気もするのです。

いわば新参者の仁義として、来し方を清算しておく必要はないのか。今まで東大生は何をしてきたのか、言ってきたのか、何をしなかったのか、言えなかったのか、何が見えているのか、何が見えないのか等々を、一度、中間決算しておかないと、なんだかなし崩しに押しかけて、厚かましく居座ってるみたいで、居心地が悪いじゃないですか(笑)。

私は阪大ですし、華やかなことの似合わないダッサイ人種なのは重々承知しているつもりですが、東大生さんが街の灯にフラフラと近づいて大丈夫なのだろうか。硬くいっといたほうが、頭の硬い部分担当で役割分担したほうがいいんじゃないのかなあ、と思ってしまったりするのですが。

傍らから結果だけを読んで勉強させていただいている人間の余計なおせっかいというか、説明責任は、たくさんの博士を生み出した先生方(「博士の父」の皆様)にあるような気はしますが。)