クララ&ロベルト・シューマン夫妻

昨年末にはショパンのピアノ曲を寸劇つきで紹介する演奏会を企画させていただきましたが、今年は、クララ&ロベルト夫妻を特集した演奏会の解説を書かせていただきました。

シューマンの生誕200年で、おそらく今年はあちこちで同種の企画があったのではないかと思います。

クララ・ヴィークの生涯と音楽は、今ではもうロベルト・シューマンから一方的に見られ、描かれるだけの存在ではなく、楽譜やCDや研究書がいくつも出ています。

(ドイツでは、一時期、音楽学の学生さんが競ってクララ・シューマンを研究テーマに選んでいたとも聞きました。そういえば岩波の『思想』のシューマン特集、クララ・シューマン論の現在をどなたかに書いていただいたら、特集にふくらみがでたかもしれませんね。今回は書き手が男性だけになってしまって、惜しいことをしました。)

あと、これは日本だけのことなのか、世界的にそうなのか、よくわかりませんが、女性ピアニストさんが、シューマン(とクララ(とブラームス))の物語に強く共振する場合があるようです。真っ直ぐ音楽に向き合う姿勢で、演奏にもウソのないタイプの方が多いような。

今回の演奏会も、そういう憧れの視線を感じさせる内容になっておりました。

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が、正直言って、歳を重ねてしまって、フラフラと世の中を斜めに眺めてしまうような男(オッサン)から見ると、シューマンの音楽と生涯は、ちょっと気恥ずかしいものがあるのも否定できない。

『思想』で岡田暁生は、「あれはストーカーだよ」と書いていましたが、独身時代にシューマンが音楽と評論と実生活で繰り広げた妄想の数々は、そこだけを取り出すと「もてない男」の煩悶のようにも見えます。

でも、シューマンは、そのあとクララと本当に結婚して、それでもずっと妄想と現実の区別がつかない芸術・生活を続けたわけで、「もてない男」ではなく、実は、それなりに楽しい人生だったのかもしれません。

そして本人の死後、情報はクララとブラームスによってがっちりガードが固められてしまったので、実際はどうだったのか、というところがよくわからない。バッハやモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトのように「実像」が資料によって明らかになるのは、今進行中の全集関連作業が終わってからなのだろうと思います。

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選曲の段階から相談があって、今回は、ショパンの場合のように生身の作曲家がサロンの女性たちと楽しげに会話する姿が目に浮かぶというのではなく、女性ピアニストさんの思い入れだけが舞台上で展開する形がいいのではないか、と提案させていただきました。

で、女性ピアニストさんのプロジェクトに対して、音楽評論家(しかも男の)が、外側から手をさしのべるように解説して、物語の構図を安定させてしまうのは、何かが違う気がして、プログラムの解説は無署名にさせていただきました。

(夫婦つながりで言えば、先日フォックストロットを授業で説明するために資料を探したイレーヌ&ヴァーノン・キャッスル夫妻(YouTubeに映像あり)と、1939年の映画「カッスル夫妻」でコンビ解消したジンジャー・ロジャース&フレッド・アステアのほうが、今の私には興味津々。)

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●C. ヴィーク マズルカ ト長調 Op.6-5
 ドイツ・ロマン派を代表する作曲家ロベルト・シューマン(1810-1856)は、生前には、ユニークな文体の音楽評論家としても知られていました。
 彼の書く文章には、新しい音楽芸術を擁護する架空の団体「ダヴィド同盟」や、そのメンバーとされる著者の分身、フロレスタンとオイゼビウスが登場します。しかもシューマンは、この虚構の人物たちが作曲したピアノ曲と称して「ダヴィド同盟舞曲集」を1838年に発表して、その冒頭に、のちの妻で天才少女ピアニストとして活躍していたクララ・ヴィーク(1819-1896)のマズルカを引用しました。実生活でシューマンと恋愛関係にあったクララは、現実と空想がごっちゃになったシューマンのロマンチックな創造行為の「登場人物」でもあったのです。
 なお、このマズルカを含む「音楽の夜会」(作品6)は、1836年、クララ・ヴィーク17歳の作品で[付記:プログラムは「15歳」となっていました、誤記です申し訳ありませんでした]、2年後のベルリン・デビュー演奏会でも演奏されました。

●R. シューマン 幻想小曲集 Op.12
 この小品集は、1837年7月に書き上げられました。シューマンはクララへの手紙で、第5曲「夜に」を弾くと、ギリシャ神話のレアンドロスとヘロの物語を思い浮かべると書いています。若者は、神に仕える巫女ヘロを愛してしまい、毎晩、彼女のいる対岸へ海を泳いで渡って、逢瀬を重ねていました。障害を乗り越えて許されざる恋に生きる彼らの姿に、シューマンは、クララとの関係を重ねあわせていたようです。
 全体は8曲から成り、第1曲「夕べに」で日が沈み、夜の幻想をつづった組曲という体裁になっています。「飛翔」の旋律は、身もだえするように旋回してから、強い憧れを表すように大きく跳躍します。「なぜ」は結論の出ない問い、「気まぐれ」は気分がどんどん変わるスケルツォ。「夜に」は曲中で最も規模が大きく、無邪気な「寓話」と軽やかな「夢のもつれ」を経て、「歌の終わり」で、物狂おしい夜が明けて、新しい朝を迎えます。

●R. シューマン(C. シューマン編曲) 献呈 Op.25-1
 シューマンは、1840年1月、結婚式の前日に歌曲集「ミルテの花」をクララに捧げました。その第1曲「献呈」は、恋する人を讃える言葉を晴れやかな歌の翼に乗せて歌います。中間のしっとりした部分にシューマンの既存の作品が織り込まれ、後奏は、シューベルトの「アヴェ・マリア」をさりげなく暗示します。来し方を振り返りながら、二人の門出を祝う作品です。

●R. シューマン リーダークライス Op.39
 クララと結婚した1840年に、シューマンは120曲以上の歌を書きました。アイヒェンドルフの詩による全12曲の「リーダークライス」は、ハイネの詩による「詩人の恋」と並ぶこの“歌曲の年”の代表作です。
 第1曲「異郷で」は、森で故郷を思う歌。“森の孤独”という言葉が印象的です。第2曲「間奏曲」は、恋する人への思いをのびやかに歌います。第3曲「森の対話」は、男が森でライン川の精ローレライに出会うという内容。第4曲「静けさ」は、胸の内をこっそり告げて、その口調は“歌”というより“呟き”。第5曲「月の夜」は、月の光が大地へ口づけするかのように地上を照らす、という神秘的なイメージの曲。「美しい異郷」は、梢のざわめき、星のきらめきに陶然とする私。幸福の予感で、森は第1曲とまったく違った風に見えます。
 第7曲「城にて」は、ライン川を見下ろす古城で老兵が見張りにつく情景。廃墟で中世を幻視するロマン派好みの趣向です。第8曲「異郷で」は、最後にふと“恋人はずっと前に死んでしまった”と告げます。第9曲「悲哀」は、ほほえみの仮面で涙を隠して、悲しみを長調で歌います。第10曲「たそがれ」は、昼でも夜でもない神秘的な時間の不吉な想念。第11曲「森で」は、婚礼の一行と活気あふれる狩の人々……明るい情景かと思いきや、すべてが夜の闇に消えます。そして第12曲「春の夜」は、幸福の到来に打ち震える歌。“僕は叫びたかった、泣きたかった/あの人はあなたのもの、あの人はあなたのもの”。

●R. シューマン オペラ「ゲノフェーファ」Op.81より リートとアリア 最後の望みが消えてしまった
 「ゲノフェーファ」は1850年に初演されたシューマンの唯一のオペラ、中世の聖女ゲノフェーファは、彼女を一方的に慕う若い騎士の逆恨みで、不倫の汚名をなすりつけられ、幽閉されています。戦場にいる夫ジークフリートの名を呼び、神に祈り、天空を仰ぎ、大いなる自然に抱かれていることに救いを見出そうとします。絶望のなかで気高い心を保ち続ける女性像に、クララのイメージを重ね合わせたという解釈もあるようです。

●C. シューマン ロマンス Op.21-1
 1853年、当時20歳のヨハネス・ブラームス(1833-1897)がシューマン夫妻を訪問しました。シューマンは、音楽の未来の希望をこの若者に託そうと考えますが、翌年には精神の安定を失い、精神病院へ収容されます。以来ブラームスは、献身的にクララを支えることになるのですが、それはまた別の話。クララ・シューマンの作品21の「3つのロマンス」は、ブラームスと出会った年に作曲され、友情の証として彼に献呈されました。