「パルジファル」と「フィデリオ」のスペイン

大阪音大の図書館に、安田秀之『イベリアの音楽』(上)(下)という膨大な音源・楽譜のカタログが入っていました。個人コレクションの目録で、レコード・楽譜等の現物は上智大学イスパニア文庫(現・ヨーロッパ研究所内 http://www.info.sophia.ac.jp/ei/)に寄贈されているそうです。

「外国の作曲家によるイベリア音楽」という項目があって、こういう項目が立つところが、外から興味津々で眺められ続けているスペインらしいと思ったのですが、「パルジファル」の名前もここにあがっていました。

「パルジファル」の聖杯騎士団の城は、台本の設定では「ゴート的スペインの北部山岳地帯を思わせる」ということになっていて、クリングゾールの魔法の花園は「同じ山岳地帯の南の斜面。アラビア的スペイン。」(ただし、モンサルヴァート城の初演時のセットは、シエナの大聖堂(広場を見下ろす丘の上にある)がモデルらしいので、リアルにスペインのローカル色を出したかったわけでもなさそうですが……。)

ワグネリアンにとって、舞台神聖劇の設定がスペイン的なのは些末なことなのか、顧慮すべき意味のあることなのか私にはよくわかりません。そもそも、「そんなことも知らなかったのか」と怒られそうなパルジファルの基本なのかもしれませんが、官能と信仰が山のこちら側と向こう側とでせめぎあう場所がスペインだ、というのは、観客が物語に入り込みやすくなるから、どんどん強調してくれたらいいのに、と思ってしまいました。「タンホイザー」を誘惑するのはヴィーナスで、「トリスタンとイゾルデ」はスコットランドのケルトの秘薬が二人の愛の背中を押すのだから、ワーグナーは、いかにも当時の聴衆が文化史的な関心をもちそうなメルヘンを深読みするパターンで台本を書き続けたんですね。

スペイン古典文学史

スペイン古典文学史

ワーグナーの「舞台神聖劇」という構想と関係があるのかどうかは不明ですけれども、マドリードでは17世紀のカルデロンの頃になっても聖体祭の神秘劇が盛んだったようで。

あと、文学のほうでは、家の名誉を重んじる気風がスペインには伝統的に強かったとされるらしいことを知りました。

地中海世界の〈名誉〉観念――スペイン文化の一断章

地中海世界の〈名誉〉観念――スペイン文化の一断章

この本はたまたま見つけただけで、「名誉」仮説に個々の事例の解釈を引きつけすぎているのではないかと、読みながら心配にはなったのですが。

ベートーヴェンの「フィデリオ」がプイイの台本の独訳にもとづいていて、舞台がスペインなのは、ドン・フェルナンド等という登場人物の名前からも明らかですが、「夫婦の愛」というモチーフが恋愛ゲームを繰り広げるオペラ・ブッファ(「フィガロ」や「コジ」のような)への対案に見えるということだけでなく、気丈な妻レオノーレは、家の汚名を削ぐために命を賭けるスペイン女性なのかもしれませんね。改めて思い返すと、ピツァロと対決するクライマックスは、貴族の圧政と闘う救済劇(これぞ市民革命の精神!)というには、レオノーレの行動があまりにも勇敢すぎて、夫婦愛だけでは説明できそうにない気がしてきます。あの場面が異常に盛り上がるのは、「汚名を晴らす」というモチーフが入っているからなのかも。ベートーヴェンの音楽も煽りまくっていますし、仇役と相対して見栄を切るみたいな感じがするんですよね。ちょっと、歌舞伎もしくは大衆剣劇風なところがある。(ベートーヴェン自身も、「van」は祖先が貴族だった名残だと信じて家系に誇りを持っていたようですし。)

19世紀以前のドイツ、オースオリアの舞台にスペインが登場する動機と背景にも、色々ありそうですね。

Wolf;Der Corregidor Opera

Wolf;Der Corregidor Opera

一方、「三角帽子」が全4幕の長大な楽劇の題材になるとヴォルフが思いこんでしまったのは、アラルコンの(冷静に考えると「舞台的」というより「小説的」な)描写を過大評価した歌曲作家の勇み足だったのではないかという気がします。アラルコンの原作を読み直すと、題材は民間伝承のロマンツァに由来するとされる他愛のない物語ですけれど、19世紀の作家の目で、行動や展開の辻褄が合うように、心理や風物を思った以上に細かく書き込んで整理しているようです。(ここでも、水車小屋の女房と市長夫人が市長のドン・ファン的もしくはマッチョ的な色欲を戒める行動原理は、水車小屋の夫婦は相思相愛でもあるけれども、市長夫人の場合は特に、夫への愛というより、「家の名誉」を重んじる女性の気丈さと設定されているようです。ちなみに、アラルコンはナポレオン戦争前の古風を良しとする王党派らしい。)

舞台用の翻案としては、木下順二の「三角帽子」と「赤い陣羽織」のほうが(為政者の横暴への批判・風刺というニュアンスが強くなっていますが)、マイレーダー=オーベルマイヤーの「お代官様」の独訳リブレットとは比較にならないくらい手際がいいですね。