大フィル定期の解説で、古典交響曲は、ストラヴィンスキー流の新古典主義の「客観視」(いわば、古典音楽の化石を弄ぶような)というより、仮面舞踏会、一種のコスプレかもしれない、という意味のことを書かせていただきました。
そうしたら、リープライヒがまさにそういう感じの演奏をしてくれて有り難かったのですが、実は「仮装」というアイデアを思いついたのは、解説を書いていた頃、この本を読んでいたからでもありました。
アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)
- 作者: 大和田俊之
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/04/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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インターテクスチュアリティとか、パクリとか、ポスト・コロニアルとか、中空で概念が高速回転するような音楽文化論があって、ともすればこういうのは言葉遊びの「大喜利」化しがちなわけですが、「偽装」=仮面を被るエンターテインメント、という言い方をすると、一挙に別の視界が開ける感じがするんですね。
「ロメジュリ」もヴェローナのお話で仮面舞踏会がありますけれど、ジャン=ピエール・ポネルが「フィガロの結婚」のオペラ映画を仮装パーティ風に演出していたこととか、フォーレやドビュッシーのベルガモとか……。もっと色々あると思いますが、ヨーロッパの文脈でも、ヒスパニック系の南を含めた新大陸の文脈でも出てくる「ラテン系」なパーティのイメージ。
山賊が酒瓶をかかえて、たき火を囲んでワアワア言っているのとは、別のタイプの宴会の系譜がありそうだ、ということでしょうか。パーティー・宴会の文化史。探せば何かちゃんとした説明がみつかりそうですね。