清く正しい音楽学会を創ったのは誰か?:『日本音楽学会30年史』(『音楽学』第33巻特別号、1987年)【短縮版】

音楽学会の黎明期の歴史の記事は、これをきっかけに「銀次」へ興味をもってくださった方がいらっしゃるようで何よりなのですが、反面、「長い」(しかも3回続き!)とのご意見をいただきました。

そこで雑談等をカットした短縮版を作ってみました。引用・データ等はオリジナルのままです。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/msj.html

よろしければどうぞ。

[追記]

それからもうひとつ。柴田南雄に関して自分が書いた記事のリンク集に加筆して、タイトルを「柴田南雄と吉田秀和:戦後高度成長期の音楽を考えるために」と変えました。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110725/p1

柴田南雄(1914-1996)のことをあれこれ掘ってみようと思ったきっかけは、あくまで大栗裕(1918-1982)と柴田が同世代だということです。対比する「項」として、ひととおり勉強しておきたいと考えました。吉田秀和(1913- )のことや、音楽学会(1952年創立)のことも、私のなかでは、そこから派生している、という位置づけです。

大栗裕のことを細かく調べているときにも(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20091114/p1)、大阪万博が絡むと、妙に心が騒いでしまったのですが、その心が騒ぐ感じは、いわゆる60年代カルチャーや、キッチュで実現しなかった未来像としての万博、とかであるよりも、柴田・吉田について考えるなかで徐々に見えてきた「サラリーマン社会」の「高度成長」という流れのなかに据えたほうが、私としてはしっくり来ます。

(そして私は、いずみホールがある大阪ビジネスパークへ行くと、なぜか、万博と同じ臭いを感じてしまいます。)

大栗裕も柴田南雄も吉田秀和も、時代の先頭集団に参加する「音楽史上の人物」だったのは1950年代であり、それぞれの安定した「個性」が見えるのは1970年代(とそれ以後)だと思います。この人たちの1960年代は、一種の「中だるみ」や「突貫工事」の時期ですが、そこがこの人たちなりの「高度成長期」っぽさなのかなあ、という風に考えてみたい気がしています。