即興詩人のアヴァンチュール:アンデルセン、フランツ・リスト、森鴎外

即興の話のつづき。

森鴎外―文化の翻訳者 (岩波新書 新赤版 (976))

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『即興詩人』や数々の「童話」をアンデルセン自身は Aventyr と呼んでいたそうです。英語のアドベンチャー、フランス語のアヴァンチュール。来るべきこと(adventuraの原義)へ胸膨らませる冒険です。

やはり即興詩人 improvisatore は、ロマン主義のヒーロー、バイロン卿やフランツ・リストと同じ水脈でつながっているみたいですね。

リスト ヴィルトゥオーゾの冒険

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  • 作者: ウラディミールジャンケレヴィッチ,伊藤制子
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長島要一先生によると、アンデルセンの『即興詩人』は、単にロマンチックな恋・冒険・不可思議がちりばめられているだけでなく、デンマーク人の著者がイタリア人になりすます“偽装された自伝”であり、映画で言う「カメオ出演」のように、アンデルセン自身と思しきデンマーク人が主人公と出会う場面もあるのだとか。そんな風に現実と虚構が交錯するところを含めての「アヴァンチュール」であるらしいです。

1805年生まれのアンデルセンがローマへ到着したのは1834年。1811年生まれのフランツ・リストがマリー・ダグー伯爵夫人とスイスへ逃避行したのが1835年で、この年に『即興詩人』が刊行されて、リストのほうも、ひきつづいてイタリアを訪れています。そうした書かれたのがリストの「巡礼の年」なのですから、これは、音楽の即興詩人 improvisatore による音のアヴァンチュールだと言っていいのかもしれませんね。「巡礼の年」にも、“偽装された自伝”と言えそうなところがありますし。

あと、リストの盟友ベルリオーズも、バイロン卿のアヴァンチュールを下敷きにした「イタリアのハロルド」を書いていますね。

どうやら19世紀ロマン主義における improvisatore は、アヴァンチュールへ身を投じる人であったようです。

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ただし、ジャンケレヴィッチの本の原題は「Liszt et la rhapsodie: essai sur la virtuosité (リストとラプソーデ:ヴィルトゥオーソ性をめぐる随想)」であって、冒険/アヴァンチュールは表に出ていません。

ラプソーデの原像が竪琴をたずさえたオルフェウスなのだとしたら、大冒険をしたり、そうした冒険の神話・伝説を物語る行為をヴィルトゥオーソに読み取ろうとしている、と言えないことはないかもしれませんが、ラプソーデの語を表に出すことで、失われたものへの郷愁とか、還らざる時、というように、亡命者ジャンケレヴィッチのカラーに染まっているようです。

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あと、アンデルセンの『即興詩人』も、長島先生によると、森鴎外による翻訳は、「アヴァンチュール」の語をキーワードとして立てるようにはなっていないようです。すべてをいわゆる「雅文」に塗り込める特異な文体は、アンデルセンの営為とはまた違った意味をもっていたようで……。

「即興詩人」の旅 (講談社+α文庫)

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しかもアンデルセン/森鴎外の『即興詩人』は日本で愛読されて、安野光雅による絵本や口語訳(←アンデルセンのデンマーク語の新訳ではなく、森鴎外の雅文の口語訳)まであるんですね。森鴎外は、夏目漱石とはまた違ったところで人気があるようで。
口語訳 即興詩人

口語訳 即興詩人

それにしても、長島先生の「翻訳者・森鴎外」という視点は興味深かったです。彼は、常に、どこか別のところにある「原本」を翻訳している、外国文学の翻訳だけでなく、過去の出来事を語り直す歴史小説も一種の翻訳だ、と見ることで、彼の仕事をひとつの見取り図に収めることができるかもしれないんですね。

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そんな森鴎外の仕事のなかで、私が今すぐにでも読んでみたいと思うのは一連の戯曲の翻訳。

鴎外訳の「ボルクマン」は、1909年11月に小山内薫の自由劇場第一回公演で上演されて、同じイプセンの「幽霊」を1912年に有楽座で上演したのは、おとぎ歌劇「ドンブラコ」を書き上げたばかりだった北村季晴の率いる演芸同志会で、1913年に「ノラ」(「人形の家」の鴎外による新訳)を大阪で上演したのは、数年後に浅草オペラへ流れていくことになる伊庭孝の近代劇協会。

浅草オペラ物語

浅草オペラ物語

浅草オペラ関係の文献・音源は色々ありますが、伊庭孝に関する本というのは、なぜか、まったくないんですね。活動が広汎すぎて、誰も手が出せないのでしょうか。
北村季晴:おとぎ歌劇「ドンブラコ」(全曲)

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小林一三が宝塚歌劇の第1回公演作に選んだり、宇野功芳大先生がCD化したり、「ドンブラコ」は妙に有名。

日本の歌劇運動と演劇・文学は、思い切り人脈がかぶっていたんですね。

そしてこうした芝居の仕事があったうえで、1914年のグルック「オルフェオとエウリディーチェ」=「うたいもの」の翻訳があったんですね。(これは、本居長世のグループの依頼による。)

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100323/p1

日本のオペラは、昭和後期にこのあたりを消去・リセットして再出発して今日に至るわけですが、日本の洋楽史としては大事そうな気がします。明治・大正の人たちは、歌劇が芝居の一種だということをわかっていたし、リヒャルト・シュトラウスやプッチーニが現役だった時代に洋行して実際の舞台を観たり、文献を猛烈な勢いで読破して、日本で歌劇をやろうとした人たちがいた、ということですから。

(ふと思ったのですが、近代日本語をどのように歌い・演じるか、ということを考え直す意味では、こうした森鴎外による翻訳を使ってイプセンをオペラ化する、というのはどうなんでしょう。舞台はヨーロッパだけれども言葉は日本語という特異なシチュエーションなので、作曲様式は自由に選択できそうですし、口語抒情詩に付曲する日本歌曲の山田耕筰以来の伝統の呪縛から自由な地点で、口語文の語りを作曲できそうな気がするのですが。)