ワーグナーを見直す

今年初挑戦の歌劇史はあと1回、日本のオペラを残すのみとなりました。

ヴェルディやプッチーニ、カルメンやグノー、マスネまでのいわば「普通のオペラ」は声楽を専攻していれば日常的に接することがありますが、それ以後になると、なかなか触れる機会が少ないようで、実際に観ていただいた率直な感想を聞かせてもらえるのが、わたくしとしては大変参考になりました。

ワーグナーの「ローエングリン」は非常に反応が良く(「音楽の散文」の好例とされたりもする2幕のオルトルートとテラムントのやりとり)、楽劇も大丈夫なんだ、というのが予期せぬ発見でした。

      • -

しかしオペラは、作品のポイントを端的にわかるように上演してくれている素材を見つけるのは本当に大変ですね。現代に近づくほど使える映像は限られてきますし、どの作品のどの公演のどのシーンをどういう文脈で見てもらえばいいか、他の資料とどんな風に組み合わせると趣旨が伝わるか。限られた時間内で話をまとめるには、何度も試行錯誤して練り上げないと難しそうだと思いました。

たとえば、これは音楽史の通史の授業でも長らく悩みの種なのが「ニーベルンクの指輪」で、何種類か全曲の映像商品があるわけですけれど、授業で使うとしたらシェローとかクプファーはちょっと違うのではないかと思われ、結局、使うとしたらシェンク演出のメトロポリタンなのかなあ、と思っています。

シェンク演出のリングは、日本語字幕の入った現役商品としては、DIAGOSTINIのオペラ・コレクションのバックナンバーとして買えるんですね。最近になって知りました。ディアゴスティーニですから4夜全部揃えても1万円以下のお値段で、加藤浩子さんが優しくワーグナーを語る解説書付き。普通のDVDとは流通ルートがまったく違いますが、こんなところにこういうのがあったのか、と。

魅惑のオペラ ニーベルングの指環 1 ラインの黄金 (小学館DVD BOOK)

魅惑のオペラ ニーベルングの指環 1 ラインの黄金 (小学館DVD BOOK)

クプファー演出のほうは小学館のDVDブックで買える。小学館の解説書は池辺晋一郎(架空インタビュー形式)&堀内修さんで、ディアゴスティーニは青島広志(予想外といっては失礼ながら、まじめな楽曲解説)&加藤浩子さん。

このDVD付きのオペラ本は最近何種類か見かけますけれど、どれくらいどういう人に売れているのでしょう。形としては「アリ」な感じがするのですが、論評の対象にどの程度なっているのでしょうか?

「ローエングリン」の学生さんに面白く観ていただいた映像も同じくディアゴスティーニのシリーズのゲッツ・フリードリヒ演出によるバイロイト。これとほぼ同じ演出は昔ベルリンで観たなあ、と、そういう意味でもちょっと懐かしかったです。

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」/ネルソン指揮 [DVD]

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」/ネルソン指揮 [DVD]

オペラDVDとして出てきたヴァージョンだとこれですね。

甲冑の騎士がゴツゴツした岩山で決闘するいわば「正調」の神話劇を今更お金をかけて舞台化できる時代ではないのだとは思いますが、古めかしい芝居を最新の音響効果つきで、「今でもこういうの、あるよねえ」と思いながら観る、という屈折した作法が、やっぱりワーグナーなんじゃないのかなあ、という気がします。

(もちろん、「今で言えば、こういうことだよね」の部分を可視化してしまうのがシェロー以後の演出ということになるわけですけれど……。そしてワーグナーには「舞台は可視化された音楽だ」という発言もあったはずで、音楽の「ネタを割る」タイプの作品解釈を視覚化する演出は、リアルタイムの詳細なヴィジュアルな解説つきで「ワーグナーの音楽を聴く」イベントを志向しているのかもしれず、それもひとつの解釈、コンサート音楽の感性に依拠してワーグナーが受容された20世紀に特徴的な解釈(=「音楽藝術」を深淵で仄暗い謎として崇拝するのではなく、その構造といわゆる「内在的な意味」=「非意味としての意味」みたいなものを白日の下に晒そうとする20世紀の藝術観←ダールハウスのワーグナー論も今から考えるとその路線に乗っていたと言えそうですし、いわゆる「ポストモダン」なのかもしれない読み替えはそれがゲームとして成り立つ前提としてそのような立場に寄生しているといえるかも)だったのかもしれませんけれど……、)

当時はまだ電気照明すらなかった時代ですから、舞台装置を更新するわけにも行かず、だからこそ、ワーグナーの音楽が、神話劇に「現代」の光を当てる最新鋭の見えない舞台装置だったのだろうと思うんですよね。音楽(聴覚情報)よりも舞台上(視覚情報)のほうが「新しい」(しかも音楽のネタを割ってしまうこともある)という形になると、舞台パフォーマンスとしてはバランスが変わってしまうように思うんですね。

(コジマはいわゆる「バイロイト様式」に固執して、一方、息子のジークフリートは新しい舞台機構の導入に熱心だったらしいですが、バイロイト上演史も、シェロー演出のDVDの付録の「進歩」を肯定する感じの特典映像ドキュメンタリーとは違った風に語り直せるかも。ブーレーズ/シェローはバイロイト100年記念の激烈なカンフル剤みたいなプロダクションだったわけですが、バイロイト150年=2026年にはどうなっているんでしょうね。14年後だったら、まだ私もどうにか生き延びているでしょうか……。)