見栄と嫉妬……なのか?

どうやら、ここ数ヶ月に私が書いた記事で一番面白がられているのは《作品名》の件らしいのですが(日本音楽学会機関誌編集委員会ならびに音楽之友社ならびに東京藝術大学の皆さん、世間に知られちゃいましたよ!)

茨木市音楽芸術協会を辞めた顛末のほうが、具体的に日々お会いする方々にちゃんと説明すべきことのように思いますので、そちらをもう少しだけ補足します。

茨木市音楽芸術協会という団体でわたくしが3年間やっておりましたのは会計(財務理事)です。

気がつけば、この団体は年間に大小合わせて20近い演奏会をやっております。そのうち半分以上は茨木市の外郭団体(文化振興財団)と共催であったり、茨木市から補助金を受けている事業があったりしますので、不明朗な出入金は、あってはならないことでございます。

音楽家の皆さまから会員として会費を毎月頂いておりますので、その徴収事務もございます。

事業をプロフェッショナルにこなしていたり、歴史と経験のある団体だったら、事務のシステムが出来上がっていたり、規約や内規がマニュアル化されていたりするのでしょうが、できて15年で、事業数が増えたのはここ数年のことなので、そういう組織固めはこれから、という状態です。

こんなややこしい役職を無事やりおおせるには、とにかくお金の出入りを明朗で透明にすることが一番だろうということになるわけですが、どうやら、お金の問題をすっきりさせるためには、すべてを全体の合意のもとに進めるのが早道であるらしいということがわかってきまして、何をやるにしても、まず最初にきっちり予算を立てる。変更があれば、その都度、会議にかける。事業が終わったら遅滞なく決算を報告する。という、当たり前と言えば当たり前のルールを徹底しまして、さらにそうすると、常に同時に複数の事業が進行しておりますから、月一回の会議で議事の積み残しが出ないように、議事進行のやり方も見なす……というように、実際には、会計の透明化を起点にして、事務処理の在り方全般の整理と見直しを進めるというような、まるで行政改革のようなことになりました。

      • -

こういうことをやれば、自分勝手に好きなことをやりたい人が窮屈に感じるのは当然ですから、難癖をつけられないように注意するに越したことはない。

お金を管理している人間が舞台にあがったりしますと、自分が得をするように運営を誘導しているのだろう、などと言われかねませんから、極力、演奏会の企画のようなことはお断りしておりました。

この団体の演奏会では一切表には出ておりませんし、どうしても演奏会の企画に関わらなければならなくなったときには、他の人にも運営に加わってもらって、基本的にはその人がメインで動く。責任者が出ていかなければならないときには、団体の代表者(会長)が場を仕切る、という形にしておりました。

「赤い陣羽織」も、名目上の運営責任者はわたくしになっておりましたが、実際に動いていたのは別の人です。

      • -

まあ、しかし、そこまでやっても、実際の仕事の流れや合意形成の手順がどうなっているか、という事実関係を一切無視して、なにやら、白石知雄がすべてを取り仕切っていると一方的に決めつけたうえで文句を言う人、というのがいるわけです。

そうして、折しも「村」の顔役みたいな方がそろそろ役員へ復帰したくてウズウズしているタイミングでありまして(彼女は、数年前、「村」の古株のちょっとメンドクサイ感じの人を会から追い出そうとする動きに加担して見事返り討ちに遭う、というみっともない事件を引き起こしておりまして、その騒動の責任を取って役員を退き、当面謹慎みたいな状態になっていたのでございます)、その人が、好機到来とばかりに、そういう不平の声を現場復帰の足がかりにした、というわけです。

      • -

書けば書くほどアホらしい、どこにでもある内輪もめですが、^^;;

わたくしとしては、会計をはじめとする団体の事務処理を明朗で透明にする、というのを第一の目標としてやって参りましたので、この件に関しましても、事態が衆人環視で明朗・透明に判断される形になるにはどうすればいいか、ということを考えました。

そうして、このタイミングでわたくしが率先して辞めるのがベストであろう、と判断したわけです。

わたくしの役職は、規約によりまして、空席を補充するには総会を開く必要がありますから、辞めたらその後処理を穏便に済ませることは不可能ですし、わたしがいなくなった後を仕切りたい人が誰なのか、ということも、会の中にいる人たちにとっては明らかですから、「どうなってるの」という質問がその人のところへ殺到するに違いない。

それでもその人が周囲を上手に言いくるめてしまう可能性がないとは言い切れませんから、保険を掛ける意味で、わたくしの立場から事態がどのように見えているか、ということについては、こうして、誰もが読むことのできる場所に淡々と記述しておく。

そういうことでございます。

      • -

事態は、わたくしにとりましては淡々と事務的に進行しております。

こういうのは、当事者が激怒して罵詈雑言を書き殴るほうが見物対象としては面白いのかもしれませんが、以上のような経緯ですので、この一文は、粛々と進行している行事の進行台本の最後の一行以上のものではありません。

次は先方の手番ですので、あとはそちらで頑張っていただきまして、どういう形へ決着したかということは、年度末の「赤い陣羽織」公演で世間様にご判断いただくことになるのだろうと思っております。

(《作品名》問題は結局うやむやになるんじゃないか、という気がしておりますが、こちらのほうは、具体的に何がどう展開するか、逐一具体的に見えることになりそうです。だから私は、こっちの話題のほうが見物のしがいがあると思うんですけどねえ……。2013年2月17日の「赤い陣羽織」、是非とも多数ご来場くださいませ。)