水商売の論理

市音は吹奏楽団ですから団員数も少ないですし若干事情は異なります。シエナやオオサカンなど自立した楽団もあります。 RT @tottokisan: @nekotausagi 市音とセンチュリーは基金の有無で全く違いますね。大体、日本で自立できているプロのオーケストラはないですからね。

雅哉 on Twitter: "市音は吹奏楽団ですから団員数も少ないですし若干事情は異なります。シエナやオオサカンなど自立した楽団もあります。 RT @tottokisan: @nekotausagi 市音とセンチュリーは基金の有無で全く違いますね。大体、日本で自立できているプロのオーケストラはないですからね。"

素朴な疑問なんですけど、団員にチケットノルマを課してコンサートをやっている団体と、バックにスポンサーがいて公演ごとにメンバーを集めている団体(ホールの座付きもこれに準じる)と(以上、固定給等は当然ない)、公益法人やNPOと、低金利時代で基金を食いつぶす風前の灯火な財団法人と(こういう団体は楽員やスタッフを常勤で雇用している)。それぞれで事業の規模も財務も全く別だということを、会話の一方が理解していて、もうおひとりは、よく理解していらっしゃらなくて、それで噛み合わなくなっているような気がするのですが、「大阪のオケはまとめちゃえ」論は、こういう雑駁な知識をもとに主張されているのでしょうか?

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「公演ごとに人を集めたらいい」、「やりたいやつが自腹でやればいい」。

日本のクラシックコンサートは、昔(戦前)はたいていがそんな感じだったわけです。辻久子のお父さんなんかの時代ですね。

音楽の殿様・徳川頼貞 〔1500億円の〈ノーブレス・オブリージュ〉〕

音楽の殿様・徳川頼貞 〔1500億円の〈ノーブレス・オブリージュ〉〕

そして当時は、今の地方自治体など足元にも及ばない額を音楽に蕩尽する紀州のお殿様もいた。

でも、それではいつまでも音楽の質が不安定だから、月給払って、音楽家の最低限の生活を保障できるしくみを作ろうじゃないか、ということでスタートしたのが、関西交響楽団(現大フィル)でした。当時、月給制のオーケストラというのは、東京でもほとんどなく大変魅力的で、オケマンに希望を与え、自信を与えた。(妻子を抱える大栗裕が関響に入ったのも、オケの月給制が確立したタイミングでした。)

朝比奈隆は、こういう当時としてはとても新しかった経営形態のオケのトップだったという意味で、近衛秀麿や山田耕筰とは一線を画する時代の先頭にいた、と言ってよいかもしれません。関西交響楽団〜初期大フィルは、当時の音楽雑誌を見ているとしょっちゅう経営陣と楽員が揉めていますが、経営者と揉めることができるほどに楽員の地位が上がったということだと思います。

ミューズは大阪弁でやって来た

ミューズは大阪弁でやって来た

こういう流れでその後各地にできた「脱水商売」な経営形態の団体が、いわゆるプロのオーケストラです。

音楽家が月給取り(サラリーマン)を望むのは分不相応であり、実力主義の歩合でいい、というんだったら話は簡単ですが、スカウトマンの手練手管で「いい娘」を集めたら店は繁盛するはずだ、という欲望の論理だけでは、音楽家は集まらない世の中になってしまっているわけです。音楽家になるというのは、ホスト通いのお金ほしさや、サラ金の返済のためにキャバクラでバイトする、というのとは別だということで、音楽家は「カタギ」になったわけです。

(それだけの装備を整えようとするから経営が苦しいのだ、とも言えますが。そして最近では、腕の良い音楽家を常勤で抱えるのが難しくなって、「特別客演首席ソロ・プレイヤー」とか、そんな肩書きを付けたワンポイント・リリーフ的なゲスト扱いにしている例が目立ち、なかでも、おそらく国内で最もコスト計算に厳しいと思われる兵庫のPACのメンバー表は、何が何だかわからないカタカナの肩書きを無数に使い分けて、どのサービスが他とどれだけ違うのか色々あり過ぎて誰にもわからないケータイのオプションプランみたいになっていますが……。)

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オーケストラが「カタギ」になるなど百年早い、もう一度「水商売」からやり直せ、とハシゴを外すのも、ひとつの意見ではあると思いますが、

他店のナンバーワンを全部引き抜いて新装開店したスーパー・オーケストラというアイデアは、水商売として考えても、いかにも成金趣味で、客層が悪いアコギな店になりそうだ、と私は思いますが、大丈夫なんでしょうか(笑)。「瞬間風速」で荒稼ぎすることはできるかもしれませんが。

まあ、公益法人とNPOとどこがどう違うねん、とか、めんどくさい話ではありますし、雅哉さんは、そういうのがお好みなんだったら、オーケストラみたいな辛気くさいものと関わり合いになるより、現金取っ払いの即決で勝負が決まる文字通りの「水商売」に転進して、北新地の帝王とか目指すのがいいかも……。それはそれで楽しそうな人生だし。

どこからツッコミが入っても姿勢を崩さず、あくまで相手を瞬殺しようとするところにシビれる女の子がいるかも。ナンバーワン・ホスト雅哉、いいじゃないすか。真剣に。

(そうですよ。だいたい、ブラスがパリっと決めてくれなきゃカッコつかない、萎えるぜ、というのは、ピカピカの光り物が重要な「水商売」の正しい感性ですもんね! 目指せ、ドンペリのシャンパン・タワーが輝くナニワの高級ホストクラブ型オーケストラ! ライバルはデューク・エリントンだ!!)

で、それはそれとして、クラシック音楽は、「水商売」な要素を急速に薄めて、それでもまだ、保護されるべき文化遺産に収まってしまうには至っていないので、わかりにくいところはありますが、しばらくこんな状態が続くんじゃないですかね。