お盆休みの時期に定期演奏会を聴きに京都へ行ったことなど

京都市交響楽団は関西のオーケストラで唯一8月の定期演奏会をやっています。しかも今年は世間のお盆休みにかかりそうな13日でした。日経大阪版本日夕刊に評が出たはずです。(8月に演奏会の数が少ないのは、自分たちが休みたいというよりお客様のペースに合わせているわけで、みんな働いております(笑)。あと、8月後半なのに一向に「秋」にならないのが今の日本なわけですが、旧暦から新暦に移行して暦と季節の関係がグチャグチャになったところもありそうですね。たとえば大阪の夏祭りは、新暦でも7月にやるので、まだ梅雨が明けきらない時期の行事になってしまっています。http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100727/p1

批評では「井上道義は、京都市交響楽団音楽監督を退任して14年だが、今も良い関係が続く」と書き出していますが、原稿を書いているときに計算してみたら、もうそんなに経っていることに驚きました。

京響は、関西で今一番安定した楽団だと言っていいと思うのですが、新しい人を少しずつ入れる努力を井上時代からコツコツ続けた結果ですから、オーケストラを作っていくのは、(トップダウンで強権発動できる団体が存在しない現状では)何年・何十年先を見据えて苗木を植えて、下草を刈って……という植林に近いのかもしれませんね。そうしてやっと花が咲いて、人が花見に訪れるわけですが、今現在、美しく咲き誇っている山を見て、「あれと同じものをすぐに作れ、金ならいくらでも出すぞ」と言うのは、野暮である、ということになるのかもしれません。

京響の気が長い、息が長い気風は指揮者との関係にも表れていて、常任指揮者だった人とそのあとも良い関係が続くオーケストラだな、という印象があります。大友直人(今の京響の整ったアンサンブルを作った一番の功労者)は、今でも京都コンサートホールでシリーズを持っていますし、井上道義も、こうして、来れば必ず何か面白いことをやってくれる。

このタイミングで「音楽監督を退任した人のその後」という話題を持ち出すのは、もちろん、こういう息の長い関係を見習いたいものですね、という含みです。が、それは、あくまでツカミ。

演奏会の眼目はプーランクの性格の違う2曲が並んでいることでありまして(2台ピアノの協奏曲とスターバト・マーテル)、実はこの夏、パリ音楽特集としてプーランクをフィーチャーした演奏会は、京都にもあったのでした。

しかもこの協奏曲は去年センチュリー響もやっていますから(沼尻竜典指揮、独奏は児玉姉妹)、奇しくも色々な方向へ考えを広げることのできるコンサートだったような気がします。

プーランクは語る―音楽家と詩人たち

プーランクは語る―音楽家と詩人たち

  • 作者: フランシス・プーランク,ステファヌ・オーデル,千葉文夫
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1994/07
  • メディア: 単行本
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六人組のなかで一番溌剌としている印象のあるプーランクですが、この本には「闘牛とフラメンコの国から来た男」ファリャの思い出を語っている場面があって、そこでのファリャは寡黙で熱烈なカトリック信者なんですよね。
松村禎三 作曲家の言葉

松村禎三 作曲家の言葉

一方、寡作なので寡黙なイメージのある松村禎三ですが、私は古い「音楽芸術」を読んで、思ったより色々なことに発言していたんだ、と意外な感じを受けたものでした。(この本には収録されていない文章がまだまだあるはず。)考えてみれば三高出身のインテリさんで(戦後ですが2歳下の木村敏のときまでは旧制のナンバースクールがあり、3歳下で学生運動へ邁進した大島渚は新制の京大卒、ということになるようです)、少なくとも、頭の中には相当な強度で色々な想念が渦巻いているタイプだったんじゃないか、という気がします。

東京へ行く前のことを回想するエッセイを読むと、故郷京都への愛憎の振幅も大きそうです。家は代々続く呉服問屋で親は熱烈な日蓮宗信者だったのだとか。本当に典型的な京都の町衆の家だったんでしょうね。

京都 (岩波新書)

京都 (岩波新書)

京都は渡来人の住む土地として開かれて飛鳥時代以来の寺があり、平安京は叡山の天台宗と東寺の真言密教ですし、そこへ地層のように色々な宗派が折り重なっていきますが、室町から戦国の現在に続く街の構図が決まった頃、日蓮宗が広まったようです。浄土真宗の東西本願寺は、JR京都駅から近いので外から訪れる人間には便利ですが、町衆が祇園祭をやる四条界隈よりずっと南ですね。