狂言とオペラ、大栗裕「赤い陣羽織」の馬の装束

故あって、このところ、いま大阪で話題の「文楽」、すなわち近世大坂の義太夫節人形浄瑠璃、を飛び越して、狂言のことを調べています。

狂言に通じている方でしたら、この写真をご覧になると、タイトルに掲げたお話のオチはすぐにわかってしまうでしょうか……。

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[このあとに長々と書き連ねた古典藝能についての「お勉強」は別のエントリーへ分割しました。→http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120824/p1 ]

「文楽」は、日本の古典藝能のなかでは、家元制度化しない実力主義でやってきているところが特徴なのかと思いますが、狂言、とりわけ、京都では今も大変に親しまれている大蔵流茂山家の、藝のちゃんとした継承と「お豆腐狂言」のキャッチコピーで外へ出て行く自由さのバランス感覚を見ていると、家の藝、家内産業であるがゆえの結束とフットワークの軽さがあるのかな、と思ったりもします。

(千之丞さんが他ジャンルに出た最初の頃は、能楽協会との関係がかなり大変だったみたいですが……。)

狂言役者―ひねくれ半代記 (岩波新書)

狂言役者―ひねくれ半代記 (岩波新書)

そして大栗裕の歌劇「赤い陣羽織」です。

最初に掲げた写真に主要キャスト3人が写っております。脚立の上のおやじ(屋根裏に隠れて様子を窺っている、という設定)と、右のおかかが農民夫婦で、手前のおっさんがお代官。「赤い陣羽織」は木下順二がアラルコン「三角帽子」を脚色した戯曲ですから、原作では市長の権力の象徴となる三角帽子を被っていて、木下版ではお殿様から拝領した真っ赤な赤い陣羽織を嬉しそうに身にまとっています。

武智鉄二の初演の演技プランとしては、封建体質に凝り固まったお代官は型にはまった操り人形(むしろ操られ人形か?)のような動きをして、最後に出てくるその奥方は、武家の女性だというところを、歌舞伎の女形でキリっと決めます。(奥方の場面は打楽器の打ち物が入ったりもする。)一方、おやじとおかかは、体制に縛られない「人間」である、ということで、武智鉄二は、普通に動いたらいい、と稽古で言っていたようです。

上の写真も、そう思って眺めると、手前のお代官と後ろのおかかは、腰の据わった構えと普通の棒立ちで、立ち姿が違いますよね。

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で、問題は、脚立の下で四つんばいになっている謎の人物です。

これは、おやじとおかかが飼っている馬の孫太郎という黙役で、言葉を話さないのですが、農家で起きた一部始終を目撃してしまいます。(ネタ元は、アラルコンの小説「三角帽子」に出てくるオウムです。アラルコンの原作小説ではオウムはそれほど活躍しないのですが、木下順二は「赤い陣羽織」に先立ち、「三角帽子」を山本安英のぶどうの会のために脚色しておりまして、ここでオウムの役割が大きくなっています。そのアイデアを引き付いたのが「赤い陣羽織」の孫太郎なのです。実は。)

そして武智鉄二は、孫太郎を上のような装束にしたのですが、これが何なのか、無知なわたくしは、ずっとよくわからなかったんです。

が、茂山家の狂言DVDを見ていたら出て参りました。

京都大蔵流 茂山千五郎家 狂言への招待 [DVD]

京都大蔵流 茂山千五郎家 狂言への招待 [DVD]

「止動方角」の馬がこの姿なんですね。リンク先に画像があります。

太郎冠者のむげな主への抵抗ぶりに、ユーモラスで何ともかわいらしい、一癖あるお馬さんの活躍(その一癖を利用してのレジスタンス活動であります)と、思う存分楽しめる構成となっております。

馬は賢徳(けんとく)の面・黒頭・モンパを着、「ヒヒィィィン」といななきながら登場します[……]

http://www.tarokaja.com/wiki.cgi?page=%BB%DF%C6%B0%CA%FD%B3%D1

狂言では狐と猿以外の動物一般が賢徳の面を使うことになっていて、黒頭にモンパ(木綿の着ぐるみ)による馬というのは、他の演目にも出てくるのでしょうけれど、たぶん、話の内容から考えて、武智鉄二が想定したのは「止動方角」だったんじゃないでしょうか。

武智鉄二は、「狂言は農民のレジスタンスの藝能で、武家の式楽である能とは出自が違うのだ」という今では疑わしいかもしれない階級史観風の説をこの頃は信奉していましたから(これが「ナンバ歩きは農耕民族の身体性である」という有名なナンバ論の思想的背景にもなっていたようです)、お代官の操り人形との対比で、観客の分身として舞台上ですべてを目撃する孫太郎は狂言「止動方角」でいこう、と考えたのでしょう。

私が知る限りでは、初演当時、孫太郎が狂言から来ていることを具体的に指摘した論評はなかったようです。(武智鉄二の周辺の古典藝能関係者の間では、知っていれば一目瞭然なので話題ならなかったのかもしれませんが。)

「古典」は、ちゃんと知らないといけませんね。

武智鉄二は学生時代にストラヴィンスキーで20世紀のアヴァンギャルドに開眼した人なので、「三角帽子」が原作である民話劇をディアギレフのロシア・バレエ団みたいにやりたかったんだろうと思います。フォークロアとモダニズムが衝突してスパークするイメージでしょうか。やっぱり、あれは良くできた演出だったんですね。

(そして大栗裕のピアノを伴う一管編成のオーケストラはフャリャの「恋は魔術師」と「三角帽子」をどこかで意識しているような気がします。)