ルビンシュタインといえば、 もちろん、母国ポーランドの大先達ショパンの演奏が有名だが、少年時代にベルリンで学んだこともあって、ドイツ系のもの、とりわけブラームスをも好んで弾いている。
ブラームスのピアノ四重奏曲をルビンシュタインのピアノで ( イラストレーション ) - Le plaisir de la musique 音楽の歓び - Yahoo!ブログ
ポーランドのユダヤ人が20世紀の複雑な力学のなかで「国際人」として生き抜いた様を描写するのに、「祖国の大先輩ショパン(実はフランス人の息子ですけど「祖国」ってどこなんでしょう?)」、「ドイツ音楽の構築性」、「ヴィルトゥオーソ」、「フランス人とロシア人のドイツ嫌い」という帝国主義時代かそれ以前の語彙で語ろうとして妙なことになっている。
現象としては面白いのに、語りの構図がびっくりするくらい古いのは何故か。
「日本を捨てた」と言ってよい状態でボストンへ渡り、ロシアからのユダヤ人移民(ボクロムを逃れてだったのかどうかよく知りませんが)の息子レナード・バーンスタインに学んだ指揮者の生き方を、「謙譲の美徳」と断じ、これを否定して、返す刀で、日本の国立音楽院を卒業してフランスで認められ、ベルリンに在住する指揮者に藝術の未来を待望する論法。
見ているもの/見ていないもの/見ようとしないもの、の配置はぴったり同じですよね。
めちゃくちゃキナ臭いところへ首をつっこんでるわけですが、いいんでしょうか(笑)。
経歴・仕事歴から見て、大久保賢は岡田暁生の子分だと思われているわけで、その人物がこういう風に第一次大戦前の世界が丸ごと蘇ればそれでいい、と思っているも同然の構図に物事を収めてしまうような語り方をしたらどういう人々が喜ぶか。
そういう人たちをコンサートホールへ呼び戻すことがこれからの課題である、と思っている人たちから仕事を貰っている立場上、しょうがないというか、気付いてしまってはいけないキャラで生きているのかもしれないけれど、どうなっても知らないよ(笑)。
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ちなみに私は、シェーンベルクという人は「ドイツ音楽」の殻を被っていたけれど、ユダヤのシナゴーグに充満する声が生涯脳内に充満していたのではなかろうか、と思うようになりました。
そして「ドイツ音楽」が殻に過ぎなかったことを象徴するのが、ナチスから逃れるときにあっさりプロテスタントを捨てて、アメリカへ渡った以後は、どれほど周りからたどたどしいと言われようとも、そしてヨーロッパ時代からの知人への私信であろうとも、すべて英語(=渡った先の言語)で通したことではないかと思っています。
そういう風に考えると、誰から何を言われようとも今は「保守」の言語を語り続ける、という生き方は、アリなのかもしれませんが……、
私は、日本(関西?)の洋楽シーンがそれほどわかりやすく「保守回帰」するとは思ってないです。回帰しようにも、それに足る実質がないんだから。そして、どうせ破綻するとわかってそっちへ囃すのは悪質だし、もし、そのような擬態なのだとしたら、もし世間がそれを許したとしても、私は人間としてそんな奴を認めない。
「ホモは指揮台に立つな」とか、「メクラはコンサートへ来るな」とか、生き延びるためにどんどん書いたらいいと思いますよ。そうやって殺されるのは本望だ、くらいに腹をくくっている人間は決して少ないはずだと信じますし、そのうえで、そういうのは、もううんざりだ、とは思いますけど。
人は、古い枠組みにしがみつきたいと願う人が考えるよりも柔軟に、いろんなことに慣れるものです。
「まあ、なんて美しい世界ですこと!」