朝比奈隆とビルボード・ヒットチャート:「本人は素晴らしいけれど弟子はみんなダメ」は本当か?

言説A: 「××はひとかどの音楽家だけれど、教師としてはどうなんだろう。弟子と言っている人たちは、形をマネするだけで、中身がない」

という語法があります。おそらくこの語法で弟子たちがなで切りにされる典型がレナード・バーンスタインであろうと思われます。

バーンスタイン わが音楽的人生

バーンスタイン わが音楽的人生

そして一方に、

言説B: 「あの人もこの人も○○先生のところで勉強したんですよ。先生の教えを忠実に守って、素晴らしいことです。あなたも頑張らなくちゃね」

という語法があります。

ことわざには、しばしば正反対の意味をもつものが両立していると言われますが、ある先生の弟子であることを揶揄する言説Aと、ある先生の弟子であることを称讃する言説Bは、両者を巧妙に組み合わせることで好ましい血統を守り、好ましからざる音楽家を一代限りに孤立させて排除する家元政治のツールではなかろうかと思うのですが、どうでしょう?

(少なくとも言説Aは、家元系の人たちが、「どこの馬の骨とも知れない人気者」当人を直接批判しちゃうと嫉妬だと思われ沽券に関わるので、代わりにその追随者を叩く巧妙なレトリック、婉曲で上品(?)な文脈でしか私は聞いたことがないんですよね……。)

      • -

『わが音楽的人生』の邦題で出た Leonard Bernstein, Findings (1982) は青年期からの書き物を集めた著作集で、アメリカ音楽における民族主義を扱ったハーヴァードの卒論とか、コープランドとの出会いの回想とか、とても面白いものが入っています。

それ以上にこの本を手にとって興味を持ったのは、訳者が岡野弁さんだということでした。

かつて、朝比奈隆や服部良一が師事したエマヌエル・メッテルの評伝をまとめた人です。

メッテル先生―朝比奈隆・服部良一の楽父、亡命ウクライナ人指揮者の生涯

メッテル先生―朝比奈隆・服部良一の楽父、亡命ウクライナ人指揮者の生涯

1927年生まれで同志社を出て産経新聞に入り、1950年代に関西の音楽記者だったそうですから、朝比奈さんや服部良一が40代で旺盛に仕事をしていた頃を見ていたことになりますね。そしてこの人たちの音楽的なルーツを探る仕事は、いってみれば、朝比奈隆や服部良一を歴史に登録することだったんだろうと思います。(しかるべき文脈をもたない「単体の名前」は、たとえどれほど突出した存在であっても、歴史=物語を構成できませんから……。)

ぼくの音楽人生―エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史

ぼくの音楽人生―エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史

      • -

もちろん本の印象は随分違います。

ロシアから日本を経てアメリカへ渡ったメッテルの本は、関西限定な形容かもしれませんが、読んでいると、モロゾフとかパルナスとか、そういう阪急沿線の洋菓子のイメージ。バーンスタイン本のほうは、写真がいちいちかっちょよくて、「L・B」という愛称が似合うアメリカのロック・スターか何かの本みたいです。

岡野さんは産経新聞退社後、本業としては米Billboard hot 100を日本で発行するミュージック・ラボ社を立ち上げて、1990年からレコード大賞審査委員長になる、という風に音楽業界にいた方みたいです。ミュージック・ラボの設立が1971年で、翌年10月14日からラジオ関東で湯川れい子の「全米トップ40」放送開始(1986年9月27日まで)。

(NTVの紅白歌のベストテン(1969〜1981年、月曜8時)とか、TBSのザ・ベストテン(1978〜1989年、木曜9時)とか、この時代は日本の歌謡曲番組にもヒット曲の週間ランキングが味付けとして導入された時期ですね。前者は「アンチNHKな読売」ということで紅白歌合戦の枠組みと掛け合わされていたり、後者は、やはり大晦日の行事だった同じ局のレコード大賞に似た演出(オープニングの乱舞するサーチライトとか、「今週の第1位」歌手が感極まって泣くとか)があったり、純然たるランキングだけでやっていたわけではないし、順位の集計がどうなっているのか、いまいちよくわからず、あくまで「演出としてのランキング」だったように思いますが、いちおう、1970年代は「ビルボード的なもの」がカジュアル化した時代だったような気がします。

そしてこうしたベストテン方式の番組が終了したあと1993年スタートのCOUNT DOWN TVは、味も素っ気もないランキング方式だけれど、PVをそのまま流したり、予め収録したライブ映像だったりして、最新ランキングなのだけれども生演奏じゃないところがポイントだったんだろうと思います。データベース消費とか、オリジナルなき複製、とかいうのが文化風俗のキーワードになった時代の番組という感じ。

90年代の半ばくらいから、歌番組は、こういうざっくりした順位のカウントダウンと、「HEI! HEI! HEI!」(1994年〜)とか「うたばん」(1996年〜)とか、まったりしたトークの間に歌が挟まるのに分かれましたね。

岡野さんは、クールなデータベース化以前の、ヒットチャートがホットだった時代の人になるのかな、と思います。)

朝比奈/メッテルとビルボードはつながりませんが、間にバーンスタインが入ると、なんとなく、雰囲気がつかめそうな気がしてきました。なるほどこれは、「本人は素晴らしいけれど弟子はみんなダメ」と言ってきれいな血を守る家元さんとは正反対に、人気とお金がぐるぐる回って混血していく文化の真っ直中であることだと思いました。

朝比奈隆/メッテルの岡野さんがこういう人だったとは……。

      • -

ちなみに岡野さんは、ミュージック・ラボでビルボードな1970年代に、バーンスタインの本を2つ既に訳しているようです。ひとつはインタビュー本 の The infinite variety of music, 1966(『バーンスタイン音楽を語る』、1974年)、もうひとつが、人気音楽番組のノベライズみたいな Young people's concerts, 1962(『青少年音楽会』、1975年)。

バーンスタインの自著は5冊あるそうで、残り2つのうちのひとつは、DVDも出ている The Unanswered Question: Six Talks at Harvard, 1976(和田旦訳『答えのない質問』、1978年)。

レナード・バーンスタイン/答えのない質問 [DVD]

レナード・バーンスタイン/答えのない質問 [DVD]

そしてバーンスタインの最初の著作にして最初に邦訳が出たのは Joy of Music, 1959(『音楽のよろこび』、1966年)で、これを訳したのは吉田秀和なんですね。知りませんでした。

音楽のよろこび

音楽のよろこび

家元系言説に加担しないオープンマインドな人たちがくっきり浮かび上がるじゃないですか。

こんなにきれいな結果になるとは、びっくりしました。

(で、大久保賢さんのブログのタイトルがバーンスタインの書名と一緒なのは偶然?)

[追記]

初歩的な認識不足がありました。

大久保賢さんのブログのタイトルは、Le plaisir de la musique なのだから、バーンスタインではなく、同じ吉田秀和が1953年に翻訳したロラン=マニュエル『音楽のたのしみ』でした。

吉田秀和本人も、バーンスタイン『音楽のよろこび』の訳者あとがきで、ロラン=マニュエルと似たタイトルの本を出すことになってしまった戸惑いのようなことを書いています。バーンスタインを訳すのは出版社・音楽之友社から注文で、なかなか仕事が進まず、野川悠が下訳を作り、これに加筆したものが吉田訳として出たようです。

色々考えさせられますが、以上、取り急ぎ事実のみ追記しました。

音楽のたのしみ(1) 音楽とは何だろう (白水uブックス 1094)

音楽のたのしみ(1) 音楽とは何だろう (白水uブックス 1094)

結果的に長期間続くことになったラジオ番組がもとになっている本。のちに吉田秀和が自分の番組名を「名曲のたのしみ」としたのは、たぶんロラン=マニュエルを意識したんでしょうね。

他方、バーンスタインの「音楽のよろこび」のほうは、吉田訳の実物を手にしてみると、日本に紹介される意味はあるのだろうけれども自分が積極的に訳したいと思ってやった仕事ではないような印象を受けました。

アメリカで活躍する小澤征爾のことは気にしているし、アメリカという国の音楽文化に無関心ではないけれど、いわゆる親米派として肩入れしてるわけじゃないし、バーンスタインをことさら応援する義理はない、ということでしょうか。

フランスの国営ラジオ放送のホスト役を務めるラヴェルの弟子で20世紀前半から活躍する大物ゲストと対等に渡り合うことのできる博識な作曲家兼評論家と、アメリカの民間テレビ番組で人気を博した若手売り出し中の作曲家兼指揮者。対照の妙が今読み比べると面白そうなのですが、当の吉田秀和は、両者と等距離につきあおう、とか、そういう気があったわけではなさそうです。