オウム返しと批評の死

学生の頃、岡田暁生から「オウム返しの返答をするな」と何度も激しく怒られた。

「○○は××だ」

と誰かが言ったときに、

「そうですよねえ、○○は××ですよねえ、なるほど」

と頷くのは愚鈍であり、知性の生き生きした活動を妨げる、というような意味だったのだろうと思う。

この格言は効く。

私は今でも、これがものを考えるときの基本だと思っている。

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人は機械ではないので、他者の思考をそのままコピー・複製して我がものとすることはできない。どこかでズレが生じたり、相手が伝えたい何かを取りこぼしたり、相手の言葉や思考をきっかけにして、相手が予期しない何かを見いだしたりする。

相手がこちらへ投げかけた言葉に、別の言葉で応じ、さらに相手がそれに反応する、というやりとりを繰り返すことで、そうした、ズレと一致が克明に見えてくるものだし、それが、対話というものなのだろうと思う。

しかし、あたかも他者の思考をそのままコピー・複製することができると信じているかのように「オウム返し」で返答すると、言葉を複製するのと引き替えに、相手と自分の思考を繊細に摺り合わせるプロセスが停止する。「オウム返し」の複製は、言葉をコピーすることで、他者との知的交流を絶縁すると言ってもよいだろう。

何かを掴もうと懸命にものを考えていた頃の岡田暁生は、周囲にそのような知の絶縁体があることを死ぬほど嫌う人だった。触ると危険な高圧電線。

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でも、時を経て、岡田暁生が大きな声で世間へ向けて発する言葉は、おそらくむしろ「激しい同意」(いわゆる「禿同」ですね)に囲い込まれる性質のものになっているように思う。

そして、時折熱が冷めたときに小声で冷静に言葉を発しても、彼の周囲には、訳知り顔で「おおむね同意」する人士しか残っていないように見える。

不幸なことである。

彼はもはや、いつ見ても、ほぼ同じことしか言わなくなっているので(それは20世紀型大衆社会における「文化人」の普通の姿だ)、「同意」「不同意」の軸で彼の言葉に接してもほとんど何も生まれない。

「激しく同意」したり「おおむね同意」したりする知的絶縁体に取り囲まれた状態で行われているのは、岡田暁生という個体の価値、あるいは、この個体が様々な地位・人脈の相関関係のなかで占める位置価を商品として活用すること。たとえば○○会議に呼んで場に花を添えたり、巻頭に大きく名前を出すことで誌面に格好をつけたり……。そして彼の周りを「同意」の絶縁体で囲むことは、個体の特性が知的交流によって変化するリスクを減らし、個体の特性を安定させることに役立つわけだ。

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年に一回、サントリーのイベントで彼がしゃべるのを眺めるときの楽しみは、岡田暁生でも回を重ねると少しずつ司会の段取りがまともになっていくのだなあ、彼にもまだ、絶えず変化し続ける知的生命体の痕跡が残っているのだなあ、というささやかな感慨に尽きている。

「オウム返し」は、対話的な知性の死であると同時に、もしかすると、批評の死のはじまりではないかと微かに予感するのだが(「オウム返し」は聞き上手、などというコミュニケーション論がもっともらしく語られたり、とか)、そのことを考える時間と余裕は、今の私には(まだ)ない。

(ティーレマン評はもう書いて送った。私のなかでは、先に日経に書いた児玉宏評と一対のドイツ音楽指揮者論の続き物のつもり。大阪交響楽団定期演奏会とドレスデン・シュターツカペレ来日公演では入場料がヒトケタ違うわけですが、商品と貨幣の等価交換は、いってみれば、経済活動における「オウム返し」の連鎖なのでしょう。頷き合う「オウム返し」に延々と付き合うだけでは、やっぱり批評は死ぬかもしれない。)