テレビ美術とアーツ・アンド・クラフツと教団論

白石知雄のブログは下品である、という意味のことを複数の方面から耳にするわけですが、どうやらそれは、それぞれの方面でそれぞれの方が「個」(単体・単独者etc.)の営み、という認識で取り組んでいらっしゃることに対して、裏口に回ってコソコソ嗅ぎ回りながら(笑)、それぞれの「脈」(人脈・文脈・歴史性etc.)を探り当てようとしているからであるらしい。

音楽学という偉い先生たちの知的な営みの集積を「学会」の歴史や組織論として読み直したり、twitterという「オレのつぶやき」をカラオケに喩えてみたり、心優しい音楽評論家(たち)が綴る音楽の悦び・音楽への愛を「クラシック音楽教」と言ったり、政治・文化・藝術に関する「お客様の建設的なご意見」を下り坂かもしれないサラリーマン社会の末期的ヒステリー症状と解釈するのは、どうやら、大変に失礼なことであるようです。

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端的に言って、こういうのは、「下部構造」を明るみに出そうとする、いわゆる「左翼」の得意技として知られる論法であって、

要するに、仲間はずれにされた人間の「負け犬の遠吠え」である、ということになっているらしい。

例えば、「個」が彼岸や絶対者といった現世で到達し得ないものを思索する宗教という営みの日本における高度な達成とされる鎌倉仏教のことを、権門体制論で古代からの政治の枠組みに組み込んで説明してしまった黒田俊雄先生は、ゴリゴリの共産党だったわけですね。そしてこの説は、修正・アップデートされながら、今では中世史の基本ツールのひとつになっているようです。

それはつまり、「今の若い人は知らないかもしれないけれど」(笑)、カール・マルクスの『ザ・キャピタル』(←「英語の世紀」のグローバリズムに準拠して英語風表記にしてみた)という本あたりから派生していることになっているらしい、とっても下品なものの見方の系譜ということですが、

思考の道具としてこの系譜は随分便利なものであるらしく、

マルクス・レーニン主義(というより、実体はエンゲルス・スターリン主義ではないか、と思えたりもする)の唯物史観の労働者一党独裁は具体的な政治システムとして無理無理のナンセンスであった、ざまあ見ろ、という話とは別に、

そういう系譜が、あっちこっちへ、非転向の教条主義から、転向者の偽装から、知らずにそういうことを考えてしまっている人まで広がっていて、そういう系譜がある、ということを知らずにいるほうが恥ずかしいところがあるようです。

キリスト教というのがあることを知らずにヨーロッパという地域の話をするとおかしなことになるように、左翼というのが存在するのを知らずに20世紀の話をすると、なんだか気の抜けたことになる、というようなことなのかなあ、と思います。

少なくとも、それを「歴史」として記述しようとするときには、「なかったこと」にするわけにいかないトピックなんでしょうね。

ナチス(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)だって、直訳すれば、国民の「社会主義」(sozialistisch)であるところの、ドイツの「労働者党」(Arbeiterpartei)なんですから(笑)。

『ザ・ベストテン』の作り方

『ザ・ベストテン』の作り方

「ザ・ベストテン」の美術担当、三原康博さんに焦点を当てることで、テレビ美術をモダン・デザイン論に組み込もうとする本。

美術を惜しげもなく「消費する」コンセプトだった、という発言があって、なるほどなあと思いますが、同時に、

モダン・デザイン(アートとしての美術とは独立した分野になっている、いわゆる「グラフィックス」)といえば、ずっと遡っていくと「藝術を生活へ」でマルクスを読みつつデザイン会社を経営していたウィリアム・モリスにたどりつくわけですよね。

20世紀には、あっちこっちでこういうことが起きている。

(演劇・映画界に目を転じれば左翼・元左翼は掃いて捨てるほどいるはずで、宮崎駿は新左翼だ、と免罪符のように連呼すればそれで済むと思われては困るわけです。)

ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)

ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)

ただし、この本は説明がくどくてなかなか本題に入ってくれない。(モリスが『ザ・キャピタル』を丁寧に読んでいていた、ということだけはわかった。)

ウィリアム・モリスで図版がまったくない、というのもどうかと思われ、結局、美術系のビジュアル本を見るのがいい人みたいですね。

もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ (アート・ビギナーズ・コレクション)

「藝術を生活へ」の人が中世へ傾倒するのは、単に左翼というのでなく、英国教会のイングランドにおけるカトリシズム、というところがありそうな気もします。

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と、大仰なことになってしまいましたが、何を考えているかというと、

「大栗裕と仏教」というような話をもうちょっと精密にやろうとすると、思想としての浄土真宗(親鸞が宗祖)というのとは別に、「教団」(蓮如が重要な転換点になるらしい)とは何なんだろう、ということをわかっておかないといけないだろうなあ、と思っているのです。

増補改訂 本願寺史(第一巻)

増補改訂 本願寺史(第一巻)

改訂版は第1巻だけ出ているけれど、続きが出るのはまだ先なのだろうか……。