與那覇潤氏はどうして例の本で一向一揆を重要視していながら神田先生をスルーしたのだろう。
一向一揆研究がここまで広がる(神田千里『宗教で読む戦国時代』) - 仕事の日記(はてな)
の続きみたいな感じになりますが、
- 作者: 呉座勇一
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日本中世史における「一揆」と、facebookのようないわゆる「ソーシャル」をつなげて語ろうという試みで、話法としては、歴史上の事実としての「一揆」にまつわる事柄を、今でいうと○○みたいなもの、と快調になぞらえていく與那覇潤メソッド。
私は国人一揆という言葉すらここで初めて知ったような門外漢なので直観的な印象論でしかないですけれど、説明が「ソーシャル」の側へ引き寄せ過ぎじゃないかなあ、と読みながら心配になりました。(私は「ソーシャル」がそんなに画期的だったりするとは思えないし。便利な人には便利なのだろうとは思うけれど……。だってアメリカのいいとこの大学から発祥して、自分の「プロフィール」が人に見せて恥ずかしくないものになってる人たちのクローズドなクラブでしょ。)
一揆というアソシエーションを知る有力な典拠であるらしい「起請文」はたしかに面白そうだと思いましたが、神や仏に誓いを立てる契約と、相互承認した相手にだけ「個人情報」を開示することによる「信用」のネットワークを、同型・同列と言えてしまえるのかどうか。
(現代のニッポンでは、個人情報を世間に晒されることへの恐怖感が、中世人にとっての神仏への畏れに近いものである、ということを本当に言えるのだとしたら面白いかもしれないし、だとしたら、わたくしのように実名等々を最初っからオープンにしている人間は、ネットワーク社会上では「神をも畏れぬ反社会的存在」になってしまうのでしょうか?!)
佐藤弘夫先生のこれは、起請文に列挙される神仏の序列に着目して中世の宗教観・世界観を例解する、という趣旨ですが、起請文を「書く」という行為の意味とかが、私には興味津々です。実際には「書く」のみならず、一同の前で読み上げることが大事だったらしいようでもありますし、そういう「書」の在り方が気になります。
- 作者: 佐藤弘夫
- 出版社/メーカー: 講談社
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呉座さんがここ(→http://agora-web.jp/archives/1524864.html)で紹介してくださっている中世僧侶の国際性の話は、坊主が社会の底の栓を抜く、という感じで私にも興味深かった。
選書日本中世史 4 僧侶と海商たちの東シナ海 (講談社選書メチエ)
- 作者: 榎本渉
- 出版社/メーカー: 講談社
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