感想

[細かくあちこち追記]

[その後、あの毒々しさの源泉については、ほぼ事情を把握できた。わかってみれば、どこでもありがちなしょうもない結末なので、ひとつ前のエントリーは不要と判断して削除しました。]

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吉松隆の交響曲第6番初演。奏者に渡された譜面が超絶技巧(ただしクラシック奏者が「超絶」と把握できる範囲内の超絶であって、無重力の彼方へ飛び出す「ゲンダイオンガク」のそれではない)を求められるものなのだろうことは指揮ぶり、弾きぶりからわかるのだけれど、鳴っている音はとても聞きやすく、しかも、奏者が巧ければ巧いほど、完成品はウツクシ度が高まっていく仕掛けになっていて、なるほどネオ・ロマン主義とか、複雑主義(?)の流れにうまくはまって成功した音楽なのだと納得しました。

とりわけ第二楽章の夢なのか現実なのかよくわからない雰囲気のなかに、記憶の断片のように色々な作品が浮かんでは消える感じは印象的。

でも、この作品を聴いて「わかる」「気持ちが良い」と思える共感のベースは、おそらく「ロマン主義」とか言えるようなハイカラなものではなく、かといって戦前・戦中生まれの作曲家たちがこだわっていたような泥臭かったり、霊的であったりするような「和」でもない。おそらく1960年代70年代(以後)の数々、とりわけ「70年代的な何か」が大きく影を落としているような気がします。(私自身は、少なくとも今のところはそこまで深く「70年代」と共振できないし、そこまでノレないですが……。)

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たぶん吉松さんは耳が良くて、貪欲かつ雑食的に音をむさぼって、「これ面白い」と自分内センサーが反応すると徹底的に解析して、楽器に割り付けた譜面にしてしまう人。長い独学生活で、そういう「聴き/書き」魔神のようになっていて、その欲望(だけ)に正直な譜面をひたすら書くと、どんな複雑主義(?)にも負けない譜面ができあがる、というようなことになっているのでしょう。

(ただし「聴き/書き」魔神な体質、つまり自分が気持ちいいと思う音を欲望のままに並べる体質は独学の作曲家によくあるタイプ。大栗裕にも武満徹にも(遠く遡ればプーランクやシューマンにも)そういうところがある。だから、希有な人というより、現時点の日本でこの座をゲットしたのは吉松さん、という言い方が正確でしょうか。)

同じくらい色々な音にセンサーが反応するのだけれどもキャリアとしては吉松さんと正反対のエリート街道を歩んできた西村朗が、音楽上の無二の親友として、全然違う作風で同じようにブイブイいわせて還暦を迎えたのは、良くできたお話だと思います。

そして西村朗と吉松隆には大きな違いがあって、西村朗の音楽は、たぶんただのハッタリだと見せつつ実は本気にベタなスピリチュアルで、心なのか文化なのか音なのかわかりませんが、その眠っているものを引きずり出そうとするようなところがあって、作品のどこかのタイミングでスイッチが入って奏者と聴衆をのめりこませて、わけのわからないところへ引っ張っていくところがある。(そしてそれを私は大阪人っぽいと思う。)

一方、東京生まれ東京育ち東京在住の吉松隆の音楽は、どんな音がしていても聴衆は「観察者」でいることができて、「聴き/書き」魔神な作曲者自身にとっても、自伝で書いていた「作曲は工学、エンジニアリングだ」は正直な自己認識なのでしょう。だから、作品は色々な音がするけれどもフラットで、どこかへ向かっていくわけではないし、抒情的ではあるけれども無生物的な感じがする。(そしておそらく、さらに巧いメンバーが弾けば、もっと「無生物」感が極まっていく可能性のあるスコアなんだろうと思う。そこまで「無生物」感を極めることが面白いかどうかはともかく、本人はきっとそういう人なのでしょう。)

そして演奏前に西村朗と吉松隆が延々おしゃべりして、それが、どこから来たのかよく分からない感じ(←決して批判ではない)な客層のお客さんに暖かく受け止められているのを目撃しながら、大阪だったら、これは、いずみホールが飛び抜けて似合う音楽だと思いました。

たぶん、吉松隆の音楽の「なんだか懐かしい感じ」は特定の場所に定位できない性質のもので、60年代っぽいメディア・ミックスな銀河系が流れ込みながら70年代に淀みなのか最盛期なのかわからない密度に達して、80年代以後の「サブカル的なもの」(その先にヴォーカロイドがあるような)につながっていく水脈・鉱脈のような気がします。(その方面に詳しくないので、ほぼ当てずっぽうの勘で書いていますが。)

そして環状線でどこからでも苦労なくたどりつくことのできる大阪城裏手のこの場所は、普段バラバラに生きている同志が集まるのにうってつけ。

今回は、前プロもモリコーネとニーノ・ロータで、曲自体は真面目だけれども70年代以後のクロスオーバーというかノン・ジャンルな気分があったので、なおさら、その感じがはっきりしたのではないでしょうか。

いずみシンフォニエッタ大阪は、世界のコンテンポラリー情報をいちはやく受信する高感度レーダーのような装いで発足して、色々試行錯誤しながら、ここ数回でノン・ジャンル路線(「20世紀の音楽はジャンルや技法や派閥で括らないで、面白さを漂流すればいいんだ」路線)を遂に発見したのかな、という気がします。このスタンスであれば、一定の強度でお客さんと共振できて、盛り上がりそうだ、と。

それは、わかってみれば結局のところ、日本でいうと西村朗と吉松隆の最も得意な、というか、この人たち(の世代)が牽引したような路線なので、なんだか、音楽監督の手前みそに居直ったようではありますが、ジイサンの図々しさは関西人の大好物でもあるわけで、ようやく、いずみシンフォニエッタのスタンスが定まったのか?という感じがします。

(作曲家当人にはそこからはみ出る面が確実にあると思いますが、今現在期待され、それに応じようとしている需要と供給の一致点は「音楽のラッセン」みたいな感じですね。それは、誰かが取りに行っていい鉱脈だと思う。需要と供給がそこで一致を見るんだったら、やればいいんじゃないかと。公共施設じゃなく、民間・私人がお金を出して、好きな人が集まるのだから。

そしてそれは、作ったときのコンセプトだったはずで、実は今もずっとそれが基軸であるような「ちょっと大きめの室内楽ホール」らしいことでもあるでしょう。たまたまフェスティバルホールが改修中で、ザ・シンフォニーホールのオーナーが変わってどうなる、みたいなときで、「大阪のクラシックはこれから、いずみホールが支えるのか」みたいな雰囲気がほんのり出てきて、あたかも、期待に応じるかのようなそぶりを見せるから話がややこしくなるんで(そんなポーズを示されたらみんな取材とか論評とか本気でやらなければと身構える大きな話だし)、むしろ、淡々とできることをやるなかで自ずと位置は定まっていくものなのではなかろうか。

「テレビには出てへんけど、ほんまにナンバーワンの落語家はこいつや、ワシにはわかる」みたいな本気のファンが付いている芸人さんは強い。で、ほんまにナンバーワンだったら、それに越したことはないけれど、いずれにしても、幸いなことにそれは、数字とか客観的な評価基準で決まることではない。大阪で芸事をやるというのは、たぶん、そういう夢を持つことなのだろうと思うし、音楽家さんや作曲家さんも、そういう気概でやってるんじゃないんでしょうか。それに、音楽家は、根がいいとこの育ちなんだから、場合によっては本気でツブしにかかる人がいるかもしれないようなアブナイところへわざわざ連れ出すのは大変。いざとなればケンカも辞さない演劇人とは気質が全然違うんだから。本当に世間の風がビュービュー吹いているところへ出ていく装備は、N響さんとか大フィルさんとか、昔からそういうのを想定してやってきたところがありますし。

朝比奈隆は、いずみホールを「オレには小さすぎる」と思っていたようですが(笑)、それでもここで自分の音楽を遠慮なくやった「英雄」の録音が先にNHK-FMで放送でされましたし、小さいホールを格下に見ていたというのではなく、招かれればいつも以上に遠慮なくやるけれども、ここは本来、大阪万博のときに「オーケストラは国力の象徴であります」と書いたりする意識でベートーヴェンやブラームスのシンフォニーをやるのとは違う種類の音楽をやる場所だということを、サイズ違いの演奏をやってのけることによって演奏家一流のやり方で示したと考えておけばいいのではないか。そしてその違いが何なのか、ということが、実はあんまり誰もよくわかっていないくらい大きな広がりがあって、おそらくそれは、10年や20年でわかることではないのかもしれない。だから混乱があったり、お門違いの方向へ矢を放って、その矢を受けたほうが「あれまあ」と呆れるようなこともあるけれども、気長にやればいいし、長期戦ができる体制を整えるのがなによりなのではないかなあ、と私個人としては今のところそう思います。

本気でデカいことをやるにはこれが要るし、あれも要ると思うんだけど、ほんとにやるの?と半身な感じを拭えない、というのが、私の一貫した立場です。

せっかくキレイなホールがあるんで、おうちのなかを清潔で使いやすいように整理整頓。まずはそこから、というのが正しい気がします。お客様の評価ポイントは何よりもそこだったはずだし、「ゲンダイオンガク」という厄介なジャンルにおいてすら「快適性」を発見する画期的な展開が進行しつつあるのですから……。イケイケドンドンではない「快適性」とは何なのか、つかみつつあるんじゃないのでしょうか。)