ものを作るのと、ものを売るのは別のことだ。
でも、最近は、(たとえば本とか)自分の作ったものを、それが切実に大事に作ったものであればあるほど、自分で売らないとにっちもさっちもいかない状況があるらしい。
分業がこれほど高度に発達した世の中でそういう立場に人が追い込まれているとしたら、それはとても哀しいことだと言わねばならないし、「心が弱いからdisらないでね」と作り手(兼売り手)が言うのは、そりゃそうだろう、手売りしなきゃならない時点で、すでにめちゃくちゃ大変なのだし、心を張らねばできないはずだから、と納得できる。
分業の高度化が硬直を導いており、作り手が自力で別ルートを開拓せねばならない局面になっているということなのだろう。
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だが、売ることを専門とする流通業者が、このような作り手(兼売り手)の物言いをまねて、「一生懸命やってるんです、わかってください、disらないで」と言うとしたら、それはちょっと話が違う。
作り手が手売りした場合、買った人の不満はダイレクトに作り手(兼売り手)に跳ね返ってくる。(売れ行きが悪い、とか、無視されるとか。)
流通業者を介する場合、売り手は、そうした売れ行きへの反応の代行込みで委託しているはずなので、流通業者が諸々の反応を受け止めるのでなければ、作り手と流通業者の信頼関係が崩れてしまう。それに、流通業者が「disられること」から逃げてしまうと、買った人の不満はどこにも行き場がなくなる。(こっちの問題は、法的に処理する形が一般的か。消費者保護の諸々とか。)
「お前のところから買ったこれだけどなあ……」「わたしたちは、ただ仲介して売っているだけなので、品質については責任はもちません」
そういう商売もありうるけれど、そうなると、根底から別の話になって、流暢業者がそもそも「私を信用してください」とアピールすることができなくなる。(disは受けつけません、というのは、購入は自己責任で、と言っているのと同じで、「私を信用するな」の意味になるわけだから。)
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流通業者が、ものを作るとはどういうことなのか、そのような人と自分との立場の違いとはどのようなものなのか、をよく考えておかなければいけない、というのはそういうことだ。
「私を信用してください、でも、心が弱いのでdisはなしね」
と懇願する流通業者というのは、甘えているか、さもなければ、商売とは別の何かの宗教をやっているのだと思う。繰り返すが、あなたは、作り手が売り手を兼ねた人とは、全然立場が違う。そうやって、物事を自分に都合がいいようにねじ曲げてはいけない。