憑依と抵抗の今昔:カティア・ブニアティシヴィリとヴァレリー・アファナシエフのこと

http://blogs.yahoo.co.jp/katzeblanca/24958475.html

持って回った書き方をしているけれど、要はこのビデオクリップにアファナシエフがご不満だったという話。

アファナシエフのみ名前を出して、他の調べればすぐにわかる名前を伏せる排除と特権化の文章術が、私には汚らわしいものに感じられる(君子を演じる俗物、みたいな……)。少なくとも、そのような文章術の、「カリスマの世界」に容易に取り込まれ得る陳腐を自覚すべきではないだろうか。今はもう吉田秀和の時代ではないし、あなたは吉田秀和の生まれ変わりではないというのに。一生擬態を続けるのだろうか……。

で、まさか大久保さんは、アファナシエフの「代表作」が自ら晩年のムソルグスキーの扮装(有名な肖像がそっくりの)をしてあれこれ語る演劇仕立ての「展覧会の絵」だ、ということをご存じないはずはないですよね。

〈謎(エニグマ)〉~甦るロシアの巨人 [DVD]

〈謎(エニグマ)〉~甦るロシアの巨人 [DVD]

ついでに言うと、リヒテルにもリストの扮装をしてコンチェルトを弾く映像が残っています。

アファナシエフは、音楽に言葉や視覚が介入すること自体を否定する人ではないし、だから最近の彼は「コメンタリー(注釈)」にこだわっているわけだけれども、実際に彼のムソルグルスキーぶりを見ると(批評は京都新聞に書きました)、憑依という感じがある。ロシアのリアリズムは、スタニスラフスキーの言う俳優修業もそうだけれど、近代的な自然主義ではなく、憑依なのではないかと私は思う。

ビデオクリップを見たかったからではなく、あくまでも演奏が聴きたくて、この「カリスマ的女性ピアニスト」のCD(付録に件の「ビデオクリップ」が付いているもの)を私も以前購った。

というのは本当だろうか。私だったら、ビデオクリップを見るためにCD買うけどなあ。ステキだもの。

(なんだか悪しき文学趣味が思考をねじ曲げているような気がする。アファナシエフがブニアティシヴィリをdisったのは、今時の若いもんは修行が足りん、かわいいからって調子に乗るなよ、程度の話で、彼としては商業資本に乗ることは許せないというイデオロギーがあるから正面切って認められないのだろうけど、ホントは嫌いじゃなさそうにも思える。ちくしょう上手くやりやがって、くらいに思っているのではないか。

ムソルグスキーが憑依したアファナシエフは特別なもので、ブニちゃんのグレートヒェンが太刀打ちできないのは確かだけれど、一刀両断するものではなかろう、と思う。)