動物の欲望、昆虫のコミュニケーション

しかし、“サブカル”はこのオタクにおけるコミケのような“大きな中心”を持たないがゆえに、個々人の自意識問題に端を発するサブカルツールとして濫用され、細分化と混迷を深めていった。[……]結果、2000年代中期以降は、“サブカル”が「コミュニケーション不全」と呼ばれた昔のオタクのイメージをまとい始め、逆にコミケを中心にして歴史を重ねて拡大し続けたオタクがコミュニカティヴになり始める。こうして、“サブカル”のほうが(昔の)オタクっぽいという逆転現象が生じてしまった。

サブカルの終わり──渋谷直角がえぐり出した問題(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

お友達を作る道具として文化に群がる迷える若者と、彼らをリサーチして、診断を下す著者(どうしてこういうレポートの文体は宮台真司っぽくなってしまうのだろう)の関係が、「幼虫」と、社会人に変態を遂げた「成虫」に見えてしまうところが、私には興味深い。

(「サブカル」と聞くとインプット・アウトプットが素速く、大きな触角がうごめいて、六本の足の節のあたりで外界からの刺激に瞬殺の反応を返す生き物を連想してしまう。私の中では、内なる欲望で動くオタクな「動物」と好対照な一対のイメージです。別に批判ではなく……。暑苦しい「人間主義」に疲れた19世紀末が、ジャポニズムとも連動しながら(←蝶々さん!)昆虫の意匠を好んだことなんかも思い起こしたい。)

クラシック音楽は、初期投資とでも言うのでしょうか、ひととおりそれらしく振る舞うまでに手間と時間がかかるので、あまり大々的な「サブカル」アイテムにはなり難いというか、80年代の「知的」がファッショナブルだった時代にひとしきり消費されて、今はなだらかな下り坂なのかもしれませんが、それでも、コミュニケーションのアイテムとしてクラシックを流通させたい人たちが、このジャンルにも一定数いますよね。

もともと「クラシック音楽」という一枚岩の文化があるわけではなく、ヨーロッパで何百年かの経緯のなかで集合離散を繰り返してきた色々なユニットの複合体が、とりあえずそう呼ばれているだけのことで、劇場の見世物はマスの欲望を壮大に組織して、ワグネリアンというオタク的動物を育ててきたし、リュート・ギター・鍵盤楽器などのパーソナルなジャンルは、指先でそのときどきのモードをなぞるようなところがあり、サブカル的昆虫とは相性が良さそうです。(モーツァルトやショパンから時のモードに感染した要素を取り去ったら、ひどく痩せ細ってしまいそう。)

ギャンブラー・モーツァルト 「遊びの世紀」に生きた天才

ギャンブラー・モーツァルト 「遊びの世紀」に生きた天才

サブカル昆虫の触角が捕捉する前にリンクを貼っておこう(笑)。

twitterは、そんな、「島宇宙」(っていうんですか)のとんがった会話の断片をかいま見せてくれる窓のような感じもある。

「あのオッサンはトロいから、楽勝で俺たちの言いなり」とか、「なんだよ、ノリが悪いなあ、チッ」とか、下界を見下ろしながら、色々言ってる感じなのでしょう。

オペラの演出がファッショナブルになって、映画監督やCM作家などが参入しているのは、多分こういう層にもアピールしているのだろうし、都市の消費生活は、いつでもどこでも、どこの国でも、文化の周囲にこういう層を生み出す、そういうものかもしれませんね。

大阪にも六本木が欲しいよね、という欲求が生みす奇観と考えれば説明できる現象が確かにありそう(笑)。

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

  • 作者: 福中冬子,ジョゼフ・カーマン,キャロリン・アバテ,ジャン= ジャック・ナティエ,ニコラス・クック,ローズ・ローゼンガード・サボトニック,リチャード・タラスキン,リディア・ゲーア,ピーター・キヴィー,スーザン・カウラリー,フィリップ・ブレッド,スザンヌ・キュージック
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2013/04/28
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログ (8件) を見る
Kクンって、言うことは辛辣だけど、あっちのほうはどうなのかしら……。でも、そこがかわいいのよね。

目指せ、サブカルの再生・拠点化計画! オタクに飲みこまれた東京で仕事にあぶれた人たちも、大阪へ来ると、まだ、なんとかなるかもよ!