マンボ問題

日本で1955年頃をピークにマンボ・ブームがあった、とされているのだとか。(もちろんラテン音楽、タンゴやルンバは戦前から、というのは通り一遍ながら承知してはおりますが。)

映画で知る美空ひばりとその時代 〜銀幕の女王が伝える昭和の音楽文化

映画で知る美空ひばりとその時代 〜銀幕の女王が伝える昭和の音楽文化

「ジャンケン娘」のラテン満載はそういうことだったのですね。

バーンスタインの「ウエスト・サイド」は、映画が1961年だからちょっとあとだと思うのですが、こっちは日本でどういう文脈で受け止められたのでしょう。ミュージカルなのか映画なのか、戦後すぐに紹介された若手作曲家のひとりでスター指揮者でオザワの師匠、というクラシック系の受け止めなのか。で、そういう人がマンボやチャチャチャというのが、どう受け止められたのか。(既に成熟したラテン音楽シーンではあまり相手にされなかったのかなあ、と想像したりもするのですが。)

もろもろ根気よく調べないと解きほぐせないか……。大栗裕のラテン好きの背景、という小さな小さな動機から、でも結構切実に知りたいかも……。でも、どう考えてもしばらくすると立派な研究・啓蒙書が出て来そうな予感がある分野なので、おとなしく待ったほうがいいのだろうか……。

むしろ「日本人から見たバーンスタイン」という方向で探れば、(バーンスタイン自身について、じゃないので)私がちょっかい出しても(まだ)大丈夫なのか……。

(高木東六(家族そろって歌合戦、見てた!笠置シヅ子(金持ちなのか庶民的なのかよくわからないパーマネント・ヘア=のちに釣瓶が顔マネした)も出てた!)のシャンソンの居場所を鮮やかに見つけてしまった論文を読んで、「クラシック人間の目/耳にポピュラー音楽がどのように見えているか/聞こえているか」という倒錯しているのかしていないのかよくわからないアングルが昭和音楽論ではあり得るなあ、と刺激を受けている私。日本の雑種な音楽文化。)