楽譜は「文字」なのか「絵」なのか? モーツァルトのギャンブルとブライトコプフ家のトランプ研究

[改題、内容は1箇所だけ変更]

ギャンブラー・モーツァルト 「遊びの世紀」に生きた天才

ギャンブラー・モーツァルト 「遊びの世紀」に生きた天才

オーストリアのギャンブルの文化史研究者が、18世紀のザルツブルクやウィーンの貴族・上流階級のギャンブル熱を踏まえてモーツァルトの一家や交友における各種ギャンブルに光を当てた本が訳されて、

訳も丁寧ないい本だとは思うのですが、

私には、ライプチヒの楽譜商ブライトコプフの創業者の息子ヨハン・ゴットローブ・イマヌエルが1784年にトランプ・カードの歴史に関する画期的な研究書を書いている、という話の方が、音楽史的なスクープとして射程が広いように思われます。

メディアとしての紙の文化史

メディアとしての紙の文化史

ブライトコプフのトランプ研究のことは51頁以下に出てくる。

木版印刷には、グーテンベルク系活字印刷とは別系統の発展史があって、木版の発展・普及においてトランプの流行は重要だったらしい。

で、ここからは私の推測ですが、楽譜印刷は、活字風に音符を組む手法ではなかなか手書きの代替えとなる品質を得られなくて、長い間、版画風に原版を刻む手法と併用されていたはずで、楽譜商の息子がトランプ・カードの蒐集・研究に没頭するのは、よくできた話だと思うのです。

楽譜をパソコンで作るようになった現在でも、活版印刷風に部品を画面上に配置していく Finale 系統のソフトでは本当にシビアな細部までは詰め切れなくて、最後は illustrater などのDTPソフトで仕上げることになっているようですし、紙に印刷する技術は、現在に至るまで「活版」の発想だけではカヴァーできない領域があるみたい。

楽譜は文字に準ずる記号群なのか、それとも「絵」なのか? 啓蒙の光に照らされるのか、ジプシーのタロット占いのように人心を惑わせるのか?

啓蒙主義のど真ん中に出てきた楽譜印刷業者が占いに由来するトランプに夢中になるのは、そんな脈絡に据えるとさらに面白そうですし、モーツァルトのギャンブル好きが示唆する「18世紀の光と陰」は、「モーツァルトがどうして金欠だったか」というようなお話で終わらせるのは勿体ないかもしれませんね。