「地方出身」という表装・表層

京都生まれの御仁が「地方出身の私は」と書いているのを読み、「東京 - 地方」の力学が当たり前である環境でこの文字列が生成されているのだな、と思い至る。

そのように生成された文字列は、北米の電子マネーシステムによって課金され、北米産のフォーマットで配信されているわけだが、このシステムを利用する人の大半は「中央の人」なのだろうか。その「中央」は、どのような「周辺」との関係において中央なのか、などという古くさい野暮は言わないが……。

考えてみれば、在阪テレビ局の番組が東京で制作されるようになってもう長く、そういえば、中央が地方を観察する、という構えなしには柴田南雄のシアターピースは成立しないわけだから、私たちは、全国の新民謡が東京音楽学校の作曲家によって作られた大正・昭和から遠くへ来てしまったわけだが、

そのとき、「地方出身の私」という言葉は、どのような空間に定位さるべきなのだろうか。