男一匹

ワーグナーについて作文中なのですが、初期の習作って、ガチガチに「硬派」なんですね。モテ系のエレガントなピアノを弾くことのできない不器用な感じで、でも、誠実に歌う旋律を書く才能と、はったりの効いた効果を塩梅する力は最初から備わっていて、結構いい奴じゃないか。

ウェーバー(←役者だった義父と職場が同じで自宅にも来た!)やベートーヴェン(←死んだ実父と同じ年生まれ(涙))に胸を熱くした少年が、大学を中退して、俗世にまみれてどんどん墜ちていく。そして墜ちれば墜ちるほど、まばゆい光に満ちた聖女への憧れが募る。(そして貴族の血を引く大恩人の娘を我がものにしてしまう。)

すごくベタですが、とりあえず、本当にそういう風に成り上がる人生(自己認識)があり得た境遇をそういう風に生きた男が実在した。ということにしてしまっていいのでしょうか。それでいいのだとしたら、とてもわかりやすい。「昭和」に通じる感じもあって、色々言えそう。いっそ一晩中語り合えそうだ。(翌朝目が覚めたら身ぐるみ剥がされているかもしれないが(笑)。)

死んだパパが芝居好きの役人で、義父が役者で、兄弟姉妹の多くが役者の不思議な家庭環境、興味津々です。(叔父アドルフがワイマール古典主義系の知識人、という脇役のキャラの配置も絶妙で、長編少年漫画になりそう。母親がかつて王子に見いだされて女優の道を目指した形跡があったり、親族だけでもエピソードありすぎです。こういう物語の塊みたいな人が、劇場で成功するんですねえ。)