2013年10月クールの木曜9時問題

三谷幸喜のドラマ台本には「CM」の指定があるらしい。

三谷幸喜 創作を語る

三谷幸喜 創作を語る

我が意を得たり。松本幸四郎のギャルソンの話も、田村正和の古畑も、はじまったらCM中にチャンネル換えられませんでしたもんね。ああいう経験は珍しかった(ひょっとすると懐かしい感じも入っていたかもしれない)。テレビっ子世代のポリシーとして(?)、テレビは(テレビも)、本放送を「ライヴ」(←と呼んでいいのでしょうか?)で観なきゃだめ。チャンネルを換えたくなるor換えさせない「何か」を含めてのテレビだ、と思うのですよ。録画を好きな時間に再生するのは、冷凍食品をレンジでチンするのに似ている。最近の冷凍食品は美味い、とか、そういう問題ではない。

さて、米倉涼子の女医ドラマ。父が一番大変な頃に偶然観てから習慣になってしまいまして、テレビ朝日のドラマを観るようになってはオッサンの仲間入りであるなあと思いながらも(「水戸黄門」を楽しみにするオジイチャンへの着実な歩み?)、新シリーズで暴走する西田敏行(アドリブがアドリブとバレで何が悪いか、と思いながらやってますよね、あの人、遂に秘書の通訳が入って「金縛り」の法廷みたいになっちゃったし……)を楽しませていただいているのですが、

毎週観ようとすると、木曜は演奏会が多いから困るのです。来週の最終回は大フィル定期の初日だし……。(仕方がないので録画します。)

今のご時世、テレビドラマの最終回があるからその日はコンサートに行かない、という人はいないと思いますが、テレビも意外にしぶといですね。

で、今日はいくつか演奏会が重なっていましたが、わたくしは、いずみホールのモーツァルトからひとつ選んで批評するとしたら金聖響だろう、このタイミングで金聖響でセンチュリーでモーツァルトは何か起きると踏んで行ったのですが、色々言える演奏会で結構なことでございました。

(こういう出演者でこういう演目がどうなるか、そこを確認しないと、シリーズの特徴を語れないだろう、ここ大事だろう、と私などは思うのですが、そう思わない人もいるのでしょうか?)

主催者的には、白石知雄なる人物は関知しない、ということのようですが、日経には私の署名で批評が掲載される予定になっておりますので、感想は普通にそこで書きます。