「物語」は続く

[補足:http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-d65a.html 今回の騒動における吉松隆は本当にブレない!]

江川紹子が、大野和士のコメントを取っている。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140209-00032494/

こういう記事は、「海外で活躍するマエストロが、祖国の惨状を憂いて緊急発言」という、それ自体としてはよくある「物語」だけれども……、

(これを読んで、「やっぱ大野は違うわ」という風に、「指揮者としての大野和士」の評価とリンクさせてしまうと、全聾・被爆二世という物語で音楽に感動するのと同じ構造に絡め取られて、あんた、何も反省しとらへんやろ、いいかげんにしときや、と横っ面を張り倒されるかもしれないので要注意(笑)。

あえてせっかくの機会なので「指揮者としての大野和士」について言うとすれば……、「クラシックとは長い時間軸でじっくり取り組むもの」と語る割には、数年ごとにポストを乗り換えて、いまだ、ひとところに落ち着く形を取り得ていないところが気になる。短期間で名声を得る器用仕事のコツを知りすぎていることは、ここまでくると、むしろ、彼の長所というより、アキレス腱になるかもしれない。)

とはいえ、大野が、様々な作曲家の新作初演を手がけてきた経験から、音楽関係者は、佐村河内が「変だ」と気づき得たのではないか、と、具体的なチェック項目を挙げているのは興味深い。

新垣隆と旧知の鈴木淳史がtwitterで、代作のことは知っていて、どう着地させるべきかと思っていた、許光俊には1年くらいまえに真相を告げたし、野本由紀夫も何か感づいていたのではないか、と書いているが、

大野発言は、ことの検証の手引きとして具体的に活用すべきであろう。

告白した新垣がヒーローになってしまうのは、それ以前に仕事で佐村河内と接触した人たちが現場でブロックできなかったからでもあろうかと思う。

音楽業界は、実際はおおむね、それほどいいかげんだとも思えないし、よくぞ数々のセンサーをかいくぐったものだ、というのが現場の人の多くの実感かもしれないけれど……、

そんな風に音楽関係者がごにょごにょ言い訳に終始して、「だから国内でウジウジやってるような連中はクズなんだ、海外で通用する大野を見習え」とか、うっとうしいヤジが飛んでくるのは悔しいから、なんとかしよう。

(大野は、それこそホントにまだ、そこまで凄いのか微妙なところがあり、こういう「勘」を大事にしないと、佐村河内みたいのをブロックすることもできなくなってしまう。だから、「大野待望論」みたいな流れになっちゃうのは、誰のためにもよろしくない。「あんたはヨーロッパでしっかり仕事しなはれ、汚れ仕事の処理はこっちでちゃんとやっときまっさかい」の気概を持ちたいものだ。大野の「ニッポン音楽業界像」が、ほんのり浦島太郎状態の香りをただよわせかけているのも気になるし。大野が、往年の朝比奈隆のような「ご意見番」に収まるのはまだ早い。

担当者は、「次は、大野さんが是非指揮したい、と思えるような才能を必ずみつけてみせますから、期待して待っててください!」ぐらい言うべき。)