彼には、まだ未発表のバロック風コンチェルトがあった!

……ウソ。レスピーギのなんちゃってバロック風ヴァイオリン協奏曲。

こういうのを楽しんで何がいけないのか、わかんないよね。いい感じにバロックと古典派がまざって時代不明になっている。そして作者名を伏せて、これがレスピーギ作だとわかる人はいるまい。完全にゴーストと化している。

解説:第2楽章で、独奏の裏にホルンのオブリガートが加わる心温まる「ロマンス」(ベートーヴェン?)風の二重奏には、再び聴覚を取り戻し、あわせて理解あるパートナーを得た作曲者の喜びが表れています。(←やめなさい)

祖国イタリアを愛する人が、ゲルマン的なクロマティック(ワグネリズムの憂鬱!)に嫌気がさして、ディアトニックの悦楽を回復しようとしたのだろうか。1908年、詳細は調べていませんが、ブゾーニと親しくしていた頃なのが関係ある?

[1906年から「transcriber of music from the 17th and 18th centuriess」をしていた、という言い方がNew Groveに出てきますね。特定の業務なのか、古い音楽を個人的な関心からあれこれ漁ったということなのか、これだけでははっきりしない。→その後もう少し調べたら、どうやらベルリンで、ブゾーニとは同国人だけれどもいまいち話が合わなかったという情報もあった。transcriberの件は、図書館にこもって古い楽譜を探索して、それを校訂したり、編曲して上演したり、というその後も続く取り組みが1906〜1908年にはじまったということらしい。

ロンドンやブダペストの音楽家が郊外へ民謡採集に出て行った同じ頃、イタリアでは、図書館へ潜ったんですね。英国やハンガリー(小谷野敦の言い方をすれば「古代が存在せずに歴史が中世から始まる国々)は農民に nation を期待したけれど、イタリア(古代が存在する国、というか、ヨーロッパの古代=ローマだ)では、図書館に蓄積された紙の束が祖国だった。folksong をよすがとするには都市化が早くから進みすぎていた、ということですかね。レスピーギがローマ三部作で図書館の外に出て、ストリートに題材を求めるのは、ようやく1920年代になってからのことです。健全になりすぎてマッチョに見えたからムッソリーニに気に入られる困った結末を招きましたが……。]

レスピーギ:劇的交響曲

レスピーギ:劇的交響曲

1914年、「アル・アンティコ」協奏曲の6年後で「ローマの噴水」のわずか2年前に、イタリアのリヒャルト・シュトラウスという感じに重厚なこういう曲を書いていますが……。「いい!」と思ったら、他人の色に染まって同じスタイルで書けちゃう人なんですね。なりきり方が半端じゃない。ここでは「エレクトラ」のゴツゴツした岩石みたいな音を出して[どうやら実生活でも精神的にかなり参っている時期だったらしい]、「噴水」では、「ばらの騎士」や「ダフニス」を仕入れて、きらきら光るオーケストラをやってみようと思ったんでしょうね。