東京シンガポール化計画、あるいは、卓越者の善意による救済と再生の物語

[付記:理研の神戸研究所って、どこにあるんだろうと調べたら、2002年設立で、場所はポートアイランド(湾岸の人工島、東京で言うと、ゆりかもめで行くお台場の先駆けみたいなところ)。三宮から無人運転のポートライナーで「医療センター」駅下車、神戸市民病院に隣接していることがわかった。未来都市のような環境で、でも浮ついているわけではなく、再生医療のための研究、ということを日々実感する場所なんだろうなあ、と思いました。

しかし、だからこそと言うべきか、善意がウソを包んでしまうスパイラルが発覚を遅らせるという、クラシック音楽関係者にとっては「S/N」で既視感のあるタイプのストーリーが生まれる最先端になったと言えば言えてしまうかもしれなさそうなところが辛い。

「事件は五反田で起きてるんじゃない、神戸で起きてるんだ」とつぶやいてみるのも、ひょっとするとアリかもしれない。]

女性・美容を持ち出してしまうとジェンダー論的なワナに落ちるので、そこは気をつけなければいけないけれど、物語の方向としては、文化・芸術・学問の「卓越性」を目指す取り組みが、半ば無意識的に超富裕層の視線を意識して編成されつつあるんじゃないか、という風に彼は診断したかったようだ。

内田樹風に言えば、日本というか東京をシンガポールにしたい人たちがいる、という話か。

(そしてアホなテレビっ子世代的には、子供の頃、ブラウン管の中のロサンジェルスで刑事コロンボと対決していた「絵に描いたようなセレブたち」がいよいよ日本で本格的に栄華を誇る時代が来るぞ、という話と理解すればよろしいのかしら、画家・医者・建築家・指揮者・スポーツチームのオーナー等々。)

まあ、日本経営士会名誉会員な指揮者さんがいる時代ですから、そういうことか……。考えてみれば、それは朝比奈隆のような戦前・昭和前期型エリートのある一面を引き継いでいるのかもしれなくて、今は、朝比奈のこっちの側面をあの人が継承して、あっちの側面はこの人が継承して、という感じにも見えますね。

さて、どうなるのか。

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仰ぎ見る「夢の行方」として、そういう場所が指し示されている感じがあるかも、というところまではいいとして、その夢が指し示す先に実体があるのかどうか。それは、「残念な/持たざる国」の残念な結果を集約してしまっていたりする可能性もあるわけだから……。外から見たら、全然そんな風には見えていない、とか。

円を基軸通貨とするアジア経済圏、みたいな夢が、1960年代の「ドルの傘の下」での経済成長を幼年期の記憶として持っている人たちによって夢見られており、ノーベル賞クラスの「知財」を握れば、これを担保に円が強くなる、というふうに、彼らの無意識が目算してしまうわけか。

ちなみに、岡田暁生の父親は、分子生物学者で、たしか発生のことをやっていたはずですから、まさに……。

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そしてしかも、そのような「再生の夢」が、(東浩紀は医療との関係まであまり考えが及んでいないようだけれど)「人々の救済」の主題と結びついているとしたら、それは、厳しい言い方だけれども、慎重に、でも、一層厳格に考えられねばならないかもしれませんね。

「選ばれた卓越者たちの善意こそがこれからの日本を救うのだ」という物語は、本当にそれでいいのかどうか。

[以下、再掲]

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)

東京への往復の新幹線で再読、ようやく「読み終えた」感触がある。資本の自由な移動/為替相場の安定/物価の安定の「通貨のトリレンマ」にものすごく触発される。

金本位制は拝金主義の温床。(金ぴかのウィーン楽友協会!)ブレトン・ウッズ体制は独り占めの番長やそいつへのこびへつらいを生み出しそう。(例えば岡田暁生がよく「封建体質」と言ってる気風は、実は19世紀ブルジョワの光と影ではなく、自分の子供時代である1960年代の心性・甘美な記憶がその正体なのではないか。精神分析的に自己と向き合うべし。)そしてポストモダンなシニシズムは変動相場(定期的に国がデフォルトしても実はやっていけたりするらしい)の病なんじゃないか。(シニカルに「音楽はゲームだ」と開き直っちゃう捨て身の音楽美学はこれかも!)と比喩的に読み替えたお話を作りたくなった。三角形を組み合わせた美しい図を作成することができそうだ。

そしてこのトリレンマを克服した「理想状態」とのかけ声で単一通貨圏(為替相場は不要=固定になる)が21世紀にEUでスタートしたけれど、やっぱり難しくて、一方、アメリカのように巨大な大陸が単一通貨で破綻しないのは、労働力の移動が調整機能を果たしているのではないか、という指摘は、気の合う同志の共同体(コミューン)の夢が、ふらふらと越境して移動する人々への憧れとセットになって、過去10年くらいで、再びさかんに語られるようになったことを連想させる。最近の欧州地域研究でロマとかクレズマーとかの話がしきりに出てくるのは、完全な統一を目指す理想論の反作用なんだなあ、と思った。

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