リバティ様式、イタリア版「セゾン文化」?

英語版ウィキペディア Arts Nouveaux の項目には、世紀転換期イタリアで、アール・ヌーヴォが英リバティ社のリテイル製品と結びつけて「Stile Liberty」と認識されていたとの指摘がある。

The Art Nouveau European Route provides details of the heritage in Europe and worldwide of the Art Nouveau style featuring considerable information about Italy's Stile Liberty. This represented the modern designs from the Liberty & Co store of London, indicating both Art Nouveau's commercial aspect and the 'imported' character that it retained in some parts of Italy, though not in Palermo [...]

Art Nouveau - Wikipedia, the free encyclopedia

パレルモではちょっと違ったという記述がこのあと続きますが、それはともかく、アルプスの南のイタリアから見ると、アール・ヌーヴォは、「輸入された」(inported)消費文化(commercial aspect)だったと見ることができるみたいですね。

シチリアの春―世紀末の文化と社会 (朝日選書)

シチリアの春―世紀末の文化と社会 (朝日選書)

追加で調べて、こんな本があることを知った。エルネスト・バレージが設計したマッシモ劇場や豪華なホテル、それを依頼したフローリオ家4代目当主イニャツィオとか、そういうのがパレルモのアール・ヌーヴォなんですね。繁栄のまばゆい光につきまとう影のようにマフィアが力とつけつつあった時代でもあって、そのあたりがコッポラのゴッド・ファーザーになっていくのか。なるほど〜。

で、知りたがり私は、リバティ社について、コピペに満足することができませんから(笑)、引き続き調べてしまうわけですが、

アーサー・ラセンビィ・リバティは、1843年、 バッキンガムシャーのチェシャムで生まれました。ロンドンのケンジントンで国際博覧会が開かれた1862年、 リージェント・ストリートのファーマーズ・ アンド・ロジャーズ商会に入社。およそ10年間の勤務を経て、 1874年、家庭用品やファッションのスタイルを 変えられるとの信念にもとづき、自らビジネスを始めることを決意しました。

義父から2000ポンドの資金を借り入れたアーサー・リバティは、 ファーマーズ・アンド・ロジャーズ商会の向かいの リージェント・ストリート218番地に2分の1店舗分の スペースを賃借しました。

当時リバティが雇うことができたのは、16歳の少女と日本人の少年だけ。1875年にオープンした店舗は、日本や東洋の装飾品、ファブリック、美術品などを販売していました。18ヶ月も経たないうちに、リバティは借金を返済し、 リージェント・ストリート218番地の店舗の残り半分の スペースも手に入れました。そして事業が拡大するにつれ、 近隣の物件も買い入れられ、店舗に追加されていったのです。

http://www.liberty-japan.co.jp/lb_history/index.html

以下、リバティ・ジャパンのサイトで興味深い記述が続きますけれど、ロンドンの万博、ジャポニズム(日本からの輸入品販売でスタートして、「日本人の少年」を雇っていたらしい)がいきなり登場するんですね。

80年代渋谷のおしゃれ系の風俗が「セゾン文化」と形容されて、外人店員さんのいるエスニックのお店がなんとか坂にできる、とか、そういうのをすぐさま連想してしまったわけですが、世紀末の耽美主義ってそういうことなんですよね。今更ですが、でも、ここにはまっちゃうと、何十年経っても抜け出せない人がやっぱりいる。

「セゾン文化」で育った人たちがオトナになった2014年の東京を1920年のコルンゴルトが魅了するのは、話の平仄が合っている。思い出のいっぱいつまった部屋は、名残惜しく、去り難いんだよねえ……。

(コルンゴルトを「プッチーニ風」とする意見があるのは、実体としてのプッチーニのスタイル云々というよりも、アール・ヌーヴォの時代の残り香の成分のひとつとしての、プッチーニに代表される女性賛美じゃないかと思う。私は、たとえば、舞台裏から“女性”コーラスを薄く重ねるところに「蝶々夫人」を連想してしまいます。そういえば、ジャパン・マネーが猛威を振るいつつあった頃、浅利慶太がスカラ座でバタフライを演出したじゃないですか。2014年の日本でコルンゴルトを見るとそんな記憶までもが蘇る。あのオペラは、そのような「ゴースト効果」を発動する。

だからまあ、最新技術で光と色彩の夢を見せるほうが、やり方としては正しいんでしょうねえ。それをやってしまうと、依存症の人がますます「あの頃の思い出」から逃れがたくなって、オペラの結末とは裏腹の効果をもたらすことになるとしても……、中学3年生でクライバー&バイエルン歌劇場の「ばらの騎士」を観て音楽学者になる人がいるのだから、若い人が東京であの舞台を観る体験は、次になにかを生み出すかもしれない。)

谷崎潤一郎―深層のレトリック (近代文学研究叢刊)

谷崎潤一郎―深層のレトリック (近代文学研究叢刊)

リバティ・ジャパンは1914年創業だそうで、ジャポニズムからはじまった英国における「耽美の消費」が大正時代には日本へ環流しているのですから、商品の運動はすごいね。