非営利の善意のパブリシティ:商品とは違う「虚」の世界のエコロジー

科学広報の活動を評価する基準はいくつかあるが、その中でも比重が高いのが「マスメディアへの露出度」だ。特に国から予算をもらっている研究機関の場合、政治家に成果をアピールできているかは、死活的に重要になる。この点で科学広報は、インパクトファクターの高い査読誌への論文掲載を重視する研究者とは、やや異なる論理で動いている。

2014-03-18 - ITとエレクトロニクスの知的備忘録

これは、科学にかぎらず、商品ならざるものの広報全般の話だと思われます。

そしてそのようなメッセージを発信するほうも、受信するほうも、どちらも今は手探りなんだと思うんですよ。

で、理系だけでなく文系含めて、学者が自ら「情報発信」するようになった十年前くらいから、昨年夏に我が身に降ってわいたように起きた出来事まで、ずっと何かモヤモヤしているものが、きれいに「問題」として整理されつつあるように感じます。

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なお、この「問題」について発言すると、ほぼ必ず、「成功している者への嫉妬だろ」とか、「弱者の立場を強調して強者を引きずり下ろすサヨクはもうウンザリだ」とか、そのような反応が返ってくるので、勢い、こちらも身を護らねばならなくなるわけですが、

幸か不幸か、私はヒトを嫉妬しないし(世の中にはそういう人間もいるのだよ、信じられないかもしれないが世界は広いの)、たぶん、諸々のファクターを勘案すると、強くはないが、弱者の立場を標榜してもいないと思う。だから、そういうリアクションは、弾がアサッテの方へ打ち返されているも同然で、どうにも受け止めようがなくなる。

また、「部外者は黙ってろ」式の言い方については、

だって、発信したものは、確実に広まってしまうのだし、それを意図した発信ではないのか、という戸惑いを生む。

そして個人の「スルー力」といった言い方で、一方的に情報を受け取る側だけに責任を負わせて、出す方は出しっ放しでいいかのように考えるのは、ややバランスを欠いているのではないか。

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私たちの親の時代に「公害」という社会問題がありましたが、モノではない情報が流通する現行の世の中では、工場の発展が絶対善あるいは最優先課題であったかのような「ものづくり」の時代と違って、非営利の善意が強い。現世での宗教活動や精神主義のイデオロギーや象牙の塔の学問、ネット上のハッカー文化など、非営利の善意は、モノの世界ではなさけないくらい無力で、たいしたことはできやしません。でも情報の世界では逆説的なことに、むき出しの営利よりも、損得抜きの止むに止まれぬ非営利(ときには捨て身)の善意がむしろ信頼されて、その周囲で、薄いけれども活発にヒトとお金が循環するようです。(どうやら、モノはそのような循環を円滑に成立させるためのインフラとして、消失するわけではないけれど、背景へ退きつつあるらしい。情報は、モノのしがらみに紐付けられないほうが「足が速い」性質があるように見えるんですよ。そしてその「強さ」とスピードは、ウソかホントか、と詮索する作業をもぶっちぎるほどであることが、ここしばらくの諸々の騒動で改めて確認された。最強なのです。)

でも、本当に解脱した宗教家や百戦錬磨の大学者や神の如きハッカーのやりとりならともかく、通常の情報流通に非営利の善意の「原液」を情報としてそのまま流すと、強力すぎて、様々な予期せぬ副作用が出る。

しかもそこに、両親がこういう人で、とか、どこそこ出身であの惨禍と無縁ではなくて、とか、ミッションスクールに通って心が清らかで、とか、善意の周りにそういう「物語」を配置するのは、「盛りすぎ」ということになる。胃にもたれて消化不良を起こします。

マスメディアが情報をフィルタリングする力が強かったころには、情報社会の「肝臓」として彼らが(具体的な手法にはいろいろな意見があるだろうけれども)それなりに調整・制御できていたけれど、今は、ここがかなり弱いから、「原液」は一気に外へ流れ出す。

最初はその強力な効果が「濡れ手に泡」の魔法の杖を手にしたように、うれしくてたまらないかもしれないけれど、それは危険な副作用と裏腹で(「炎上」とかね)、だから安全のためには、手持ちの情報が絶対的な善ではないし、実際には具体的な損得勘定が背景にあるのだということがある程度わかるように、薄めてから流さないといけないのだと思う。

非営利の善意に特有の「強さ」をどのように制御するべきなのかが問われているように思うのです。

実際、多くの非営利活動は、その善意に、現実世界における何らかの補助の裏付けがあってはじめて成立するのが通例で、純然たる「虚」ではないのですから。

(で、そうはいっても、「虚業」がそういうものなのは昔から大して変わってなくて、科学・学問にしても、文化・芸術にしても、世の中のほうの都合で「虚業」の取り扱いが多少変わって、新規参入する人や部署が出来て何やらバタついている、というだけで、昔からやってる当事者には、今更何を、ということのような気はしますけれど。)