古楽とオペラ演出

承前。

古楽が楽譜しか残っていない音楽の「演奏法」を探求したり、最近のオペラ演出が台本と楽譜にないモノとヒト、いわば「ゴースト」を登場させるのは、間違いを正しいへ訂正し、置き換えているのではなく、

そう思い込むから、古いやり方を嫌悪して、駆逐せよと叫ぶ急進原理主義が出てくるわけだが、

そうではなく、現象を把握するモデルの次元が一つ繰り上がっているのかも。

たぶん過去と未来は排他的な二択ではなく、両立するんだよ。

(大栗裕が死んだ二年後に、京大M1の大栗博司は超弦理論の決定的な論文と出会ったらしい。転生?)