楽譜を書くだけでいいなら、数学に似た論理できれいにスイスイ話が進む。(たぶんロマン派のはじめくらいまでなら、これでもいける、というか、当人たちも、実際には別のことをしながら、頭ではそう思ってた可能性が高いかもしれない。)
でも舞台で人が動いたり、ホールで楽器を鳴らす行為を楽譜に従属、付随するオマケ以上の何かだと考え始めると、話が物理学に近くなる。だってそれは、永遠普遍ではない「この世界」の話だから。
気づいてみれば当然だが、このあたりに、分析のための分析(読んでもつまらない)と、読んで面白い議論、分析の違いがあるのかもしれない。
(以上、「もうひとりのおおぐりひろし」の感想その1)
で、これは、ひょっとしたら作曲は「教えられる」んじゃないか、いつまでも神秘化してちゃ駄目なんじゃないの、と言ってしまえる糸口かもしらん、と思う。