前置きが長い……

アニメ・マシーン -グローバル・メディアとしての日本アニメーション-

アニメ・マシーン -グローバル・メディアとしての日本アニメーション-

前に、最近の「映画やビデオのような舞台」と書いたことのヒントがないかと思って読んでみた。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140318/p1

著者は、単眼カメラの視線を思わせる映画的なもの(シネマティズム)と対比して、複数の層をアニメーション・スタンド上で合成するアニメ的なもの(アニメティズム←人類学ではやや違った意味をもつ言葉みたい)があると言うのだけれど、

オペラの舞台でも、歌手に観客の視線を集めるのとは違うやり方で人物と照明と舞台装置を組み合わせることがあるように思う。

で、新国のようなところは、そういうものへの関心が高くなる傾向があるのかもしれない。(シロウト考えでは、書類に、先進的な手法、というような言葉を混ぜると予算を取りやすくなるんじゃないかという気がしたもので。)

      • -

それはともかく、学術書で「序論」がくどくて長いのは辛いですよね。人間が読むことを想定した文章というより、特定分野の専門家コミュニティを想定して、実際にはその人たちだって細かく読みはしないのだけれども、万が一何かのはずみで読まれてしまったときに文句を言われないための予防線をくまなくはりめぐらせようとすると、どうしてもくどく、長くなる、という感じがある。

契約書の条文みたいなんですよね。

こういうのが、コピペの温床になっちゃうんじゃないのかなあ、と思ったりもする。

[……で、本文は前置きに輪をかけて饒舌で長い。庵野秀明を出す導入に機械の部品分解図(プラモデルの組み立て図もこの手法で描かれていますよね)の独特の遠近感を指摘するところなどは面白かったですが、ラカンとかドゥルーズを止めたら、要点は1/5くらいの分量で言えそうな気がします。「クール・ジャパン」は、もうちょっとまともな現地代理人を探したほうがいいんじゃないだろうか。英米の大学のなかでの地域研究の地位、そのなかでの東アジア・日本研究の地位は、いったいどれくらいのものなのだろう。本音の情報が知りたいです。物理学で大栗博司先生が招かれているようなところとは、一口に大学と言っても、かなり環境が違うのとちゃうやろか。饒舌になってしまうのは、普段誰にも話を聞いてもらえない人によくある症状のような気が……。そういう人たちの自己表現の場で、文化祭の模擬店みたいに「現代日本展示」をやるだけではなあ……。]