「倍返し」が不発に終わると相当にかっこわるい

ついでに書いておくが、どうやら世の中には、しばしば親が子どもに説教するときの言葉

「○○ちゃん、もしあなたが他人からそんなことをされたらどう思う。嫌でしょう? 泣いちゃうでしょう。自分がやられたら嫌だなあ、と思うことは、他人も同じように嫌なのだから、やっちゃだめですよ」

というのを裏返すことで「悪の支配者」になれると思ってしまうフォースの暗黒面(笑)があるらしい。

つまり、自分が他人から何かをやられて嫌だなあ、と思ったら、寸分違わず同じことを相手にやり返す、それが仁義なき社会を生き抜く道だ、と思い込んでしまう、いや、「思う」以前に、ほとんど自動的・反射的に、そういう風に行動してしまう人物、というのがいるらしい。

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自分と相手とが、だいたい同じような文化・環境で育ち、能力・素質等々が同程度である均質な人間集団のなかだと、このような倍返し・復習・報復が結構有効だったりするようだ。

要するに「イジメ」というのはそういうことだ。

でもね、多様な人間が入り乱れる場では、この作戦が思いっきり不発に終わるリスクが高く、むしろ、たいてい、そういうのは効き目がないんだよね。で、そんなことをやってる当人が恥をかくだけで終わるから、自制・自粛するほうが利口である。

たとえば、あの市長のアンチャンは、衆人環視のもとで、そのような赤っ恥をかきつづけているわけです。あのアンチャンに似た気質を持つ人たちは、あれだけ堂々と赤っ恥をかいてくれている人物から、反面教師として学ぶべきことがたくさんあるはずだ、と、私は思う。

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もう少し具体的に説明すると、こんな感じだ。

「悪の倍返し」に邁進するAさんは、日頃からBさんのことがうっとうしくてしかたがない。

何が気にくわないといって、Bさんは、ことあるごとに、私にはその言葉の半分かそれ以下しか理解できない言葉遣いで延々なにかを申し述べて、なおかつ、それで私を言い負かしたと思っているようなのだ。

今もまた、延々と何か言っている。

何を言ってるのかよくわからないから、自分で言い返すことはできないけれど、とにかくむかつくので、最近は、Bが何か言い出したら、私の豊富な人脈を活かして、尊敬するCさんやDさんの言葉をあいつに投げつけることにしている。

Bは、CさんやDさんにはとうてい及ばないつまらない人間だし、CさんやDさんの言うこともまた、私にはBが言うのと同じように半分くらいはよくわからないので、きっとBの奴も、CさんやDさんの言葉を突きつけられたら、当惑して混乱するに違いない。私がBの言葉に直面したときと同じように、今度はBよ、お前が苦しみもがく番だ。これが私の倍返し。少しは思い知るがいい。

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しかしこのとき、この人物はひとつの可能性を見落としている。

Bさんが、CさんやDさんの言葉を理解できて、相互に話が通じてしまったらどういう化学変化が起きると思う?

今度は逆に、Aさんだけが、Bさん、Cさん、Dさんの間でかわされているコミュニケーションからはじき出されて、孤立してしまうことになるわけだが、それでいいのか?

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私は、そんなサル山の争いには基本的に興味がないので、最近は、他人の話をちゃんと聞けない人間に遭遇したら、「もうちょっと勉強せなあかんで」と言うことにしている。どのタイミングで言えば相手の耳に届くか、見極めるにはコツがいるけどね。

(いや、最近は、じゃなく、昔からそうだな。教師の息子は、こういう性癖をいつの間にか父から受け継いでしまったのであろう。)