不気味なまでにアーティキュレーションが欠如した言葉の連なり

しかるべき資金を調達して、イベントの主催者との間で現金取引や信用取引によって特定のイベントに自分が参加する権利を取得したり、その特定のイベントに遅滞なく参加するべく、所定の日時の特定の時刻に所定の場所にたどりつくことができるように自分の行動をマネジメントするのは、相当高度で複雑な記号操作を繰り返さなければ不可能ですから、コンサートを聴くというのは、まことに文明的な振る舞いである、サルにはマネの出来ない行為だ、ということになると思うのですが……、

そのようなまぎれもない文明人が、その場で特定の人物が鳴り響かせている音響を、あたかもアロマセラピーの芳香剤か何かのように、不定形で分節を書いた鈍い刺激の連なりであるかのように記述してしまうということ、聴覚文化の圏内に足を踏み入れたとたん、文明人が物事を言葉で分節する能力が著しい機能不全に陥り、そのことに当人が不満を覚えるどころか、快く酔いしれているという不可思議な現象は、どのように理解すればいいのだろうか。

そこで演奏が告知されている音楽は、どう考えても、その人たちが使っている言葉と同等かそれ以上に緻密に、隅々まで推敲された文章のように周到に分節されていたに違いないはずなのだが、この落差は何なのだろう。

あるいはこの人たちは、楽器を手に音を鳴らしている人物の行為をなぞるようにして、一緒に呼吸する、ということすらできていないし、そんなことをやるのが聴覚文化への入り口であるということを想像したことすらないのだろうか?

私も、つい最近同じ空間でマイクを通して客席に向かって話をする機会を得たばかりだが、あれだけ音が響く場所だと、うっかり油断していると前後の音が全部モワモワに混ざって、何言ってるのかわからなくなる。舞台上の人物は、知られている情報から推測する限りでは、通常以上に滑舌に気を遣っていたに違いないことが予想されるのだが、その甲斐もなく、客席は全部まぜこぜにして飲み込んでしまったのだろうか。

カレーライスをご飯が黄色くなるまでグチャグチャに混ぜてから食べるように……。

だったらちょっと悲しいわけだが、本当にそんなことが起きていたのか? そんな風に幼児的な振る舞いで満足するような人たちがその場に集まっていたとは想像しがたいのだが。

      • -

とはいえ、それは個々人の受信機械としての性能の問題であって、人間の「聴く力」は、ラジオやレコードプレイヤーを買い換えるように一朝一夕で劇的に変わるものではないから、所与の条件として受け入れないとしょうがないところではある。

で、性能がどうであれ何かを聴いたのだろうと思うわけだが、では何を聴いたのだろうか。

口調、語り方が独特であったということはわかった。では、そのような口調、語り方で何が語られたのだろうか。

実は今宵の人物は、それほど特別なことを語りかけてくれる人ではないのではないか、という疑念が、これまでに知られている情報からあったりもするのだが、実際のところはどうだったのか。

口調、語り方にばかり気を取られていた人たちにそんなことを質問しても、鳴り響きをしかるべく分節することすら十分にしておられないようなので、芳しい答えは返ってこないかもしれないが。

いきなり「本質」と言われても対処に困るし、それなりの考えなしには組むことのできないプログラムであるように思うのだが、その点に関して、誰も特段の感想を抱かなかったのだろうか。それもまた不思議な話だが……。

(まさか、それが舶来の輸入品だからといって、感想もまた、他のどこかで誰かの言ったことに右にならえ、でアウトソーシングして輸入すればいい、というものでもあるまい。

現代社会で生きるということは、様々なストレスにさらされることであり、日頃から言いたいこともいえずにポイズン!なのが普通であるとも伝え聞きますが、コンサートを聴いたあとというのは、誰はばかることなく、「自分らしさに正直」に口々に感想を言うことができる絶好の機会ではないですか。

何かを確かに聴いたのであれば、それを明朗に語ればいいのに……。差別的な野次が飛んできたりはしないし、もし飛んできたら正々堂々と闘えばいいじゃないですか。さあ、あなたが何を聴いたか、言ってご覧なさい。「たとえ黙っていたとしても、神様は、あなたの心に浮かぶことをすべて既にご存じです。何も怖れることはありません。」)

師父の遺言

師父の遺言

上の文の最後のカギ括弧は、松井今朝子がキリスト教のそういう信念を羨ましく思った、と書いているのを拝借した。

祇園に生まれて伏見のミッションスクールに通った少女時代のところまでしか読んでおらず、「師父・武智鉄二」はまだ影も形もないけれど、とにかく、ひとつひとつのエピソードの輪郭がくっきりして、ごまかすことのない文章。このスタンスで武智鉄二のことを書くというのは、並々ならぬ覚悟だと思う。あわてずゆっくり読みたい。