受賞記念

三善晃の四部作と呼ばれているオーケストラ曲のCDがなぜ2枚組なのかと取り寄せたら、サントリー音楽賞受賞記念公演ライブで、同じプログラムの東京公演(東フィル)・大阪公演(大フィル)が両方が入っていた。

三善晃 交響四部作「夏の散乱」「谺つり星」「霧の果実」「焉歌・波摘み」

三善晃 交響四部作「夏の散乱」「谺つり星」「霧の果実」「焉歌・波摘み」

  • アーティスト: 秋山和慶,三善晃,東京交響楽団,堤剛,大阪フィルハーモニー交響楽団
  • 出版社/メーカー: 日本伝統文化振興財団
  • 発売日: 2009/04/22
  • メディア: CD
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音楽賞の受賞記念コンサートを、この頃までは、東京と大阪両方でやっていたんですね。次の年の飯守泰次郎(聴いた)とその次の一柳慧(聴いたか記憶が定かではない)で大阪公演はなくなってしまい、2007年の鈴木秀美は、東京まで聴きに行った。2001年は、まだあまり大阪の仕事をしていない頃で、この公演は聴いていないです。タッチの差、ちょっと悔しい。

http://www.suntory.co.jp/sfa/music/prize/concert_4.html

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これとは別に、東京の「作曲家の個展」のミニ版みたいな室内楽の個展が大阪であって、これは、今のトランスミュージックなんちゃらかんちゃらエッセンツィア、という長い名前のシリーズの前身の前身なのだと思いますが、

http://www.suntory.co.jp/sfa/music/other/chamber.html

97年の柴田南雄のあと、98年が西村朗で、ああ、こういう作曲家なのか、大阪の人なんだ、と認識して、それで同じ年、東京交響楽団がサントリー音楽賞を得た受賞記念コンサートも聴きに行った。そういう流れだったのを、今データを見て思い出した。(東京交響楽団は、飯森範親の指揮で「光の雅歌」をやって、西村朗も客席に来ていた。)

それでもってこの2年後2000年に、いずみホールが室内オーケストラをはじめて、西村朗がアドバイザー(音楽監督)になったわけだから、なんでこの人なんや、という流れのポイントになりそうなところは、今振り返って、目撃していたことになるのかなあ、と思う。

西村朗を2000年以前に聴いた2つのコンサートの感想は、どちらも、当時、京都新聞に批評を書いた。(当時、担当記者さんの考えで、京都新聞でも関西一円の演奏会について書いてよし、ということになっていたのです。あ、そうそう、シンフォニエッタ結成披露公演の批評も、京都新聞に書いてるよ。)

最新ビジネス理論にもとづく宣伝効果にはカウントされとらんかもしらんが、こちとら、そのあたりから、いちおうフォローしとるのじゃよ。

(2000年代に入っても、東京もんは、「この人、誰」と言っておったらしいが(笑)。←でもさあ、○○さんがそう言ってましたよ、と私に面と向かって言う広報担当ってのは、ちょっと口が軽すぎるというか、人間として、ちょっと変わってるよねえ。

そういうのを軽く受け流しつつ、当然ながら忘れはしない、というその蓄積で今日に至っているのですから、自分で言うのはナンだが、わたくし、むしろ「温厚」とか、人間ができている、と形容されていい、息の長い人付き合いをしているんじゃないかと思うのだが(笑)。)

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……と、そういう話へ脱線したかったわけではなくて、

何が言いたいかというと、「ゲンダイオンガクは終わった」と言われながらも、80年代90年代に、存命の日本の作曲家の活動を内輪に閉じない場で取り上げる取り組みが東京だけになっちゃっていたわけではなく、サントリーの意地だったのかもしれないけれども、大阪での一連の公演は、意味があったよなあ、ということです。

いずみホールでは岩城さんや武田明倫が色々やっていたし、そういうのがなければ、シンフォニエッタも、おそらく、ないでしょう。

あの頃人生のひとまずの「まとめ」をしている感じだったのかもしれない昭和ヒトケタの人たち(作曲の人も批評の人も)が敷いたレールをそのまま進むわけにはいかないところに、実際にそのあとを引き継ぐ大変さがあるのだとは思うけれど、まあ、そういうのは、どこの分野にでも起きることだ。大変さや、その苦労を背負って頑張る私のすばらしさだけを主張しても仕方がない。