公然の不仲

http://blogs.yahoo.co.jp/katzeblanca/25940954.html

レイボヴィッツがブーレーズと不仲なのは数年前に出た本にも書いてあるようだし、公然のことなのでは?

"With a red pen, [Rene] Leibowitz began marking up the manuscript [to Boulez's first sonata], then dedicated to him. Grabbing the score, Boulez fled, shouting at Leibowitz "vous etes de la merde!" [you are full of shit!] Three years later, Boulez's publisher Herve' Dugadin asked him if the dedication should remain on the printed score. As Boulez shouted "Non!" he stabbed the manuscript with a letter opener until it was virtually in shreads." ― Joan Peyser, To Boulez and Beyond

To Boulez and Beyond

To Boulez and Beyond

Quotes about Pierre Boulez

設立間もないIRCAMの人たちがボスと仲の悪い作曲家と距離を取ろうとしたのは、それほど謎めいたことではないように思うのだが、これ以外に何かあるのだろうか?

パリの当事者が気を遣うというのならわかるけれど、極東でひそひそ話をして嬉しいか。音楽は、人間関係を離れて楽しむものだと言ってたんじゃないの。

現代音楽界隈は、たいして大きな世界じゃないのに隠し事というか秘かに囁かれているホントの話、みたいのが多すぎる。私は、そういうの大嫌いだ。

(「あたしは白石知雄と大久保賢を誌上で競わせて、その結果、大久保賢を選んだの」と正々堂々と言えばいいわけですよ。言葉では言わないけれども、それを行動で明白に示されたから、白石知雄が「このヤロウ」と憤りを表明して、即座に大久保賢の文章を破り捨てた。どこにも陰湿なところなどなく、売られたケンカを正々堂々と買っただけのことだ。事実関係に何か間違いがありますか?

一般論として、ケンカしないで済む可能性が高そうな人間の仲を裂くようなことを画策するのは(誰と誰は横並びであって、今はどっちが頭一つ抜けた、みたいな順位付けのお話を勝手に作って触れ回るような行為は)、あまり誉められたことではないんじゃないかと少なくとも私は(今でも)そう思うが、まあ、それなりの事情があるのだろうし、やられてしまった以上、こちらも何らかの対応をしなければしょうがないでしょう。

勝ち負けや順位が存在するはずのないところに勝手に勝ち負けを捏造したら、「勝ち」判定された人だけでなく、そうでなかった人間にも影響が及ぶに決まっている。だからこそ、コンペティションとかワールドカップとか、そういうヨーイドンの競争は、時期と場所とルールを決めて、その場で完結するように一気にやるわけです。終わったらノーサイド。会社に昇進・出世競争とか、そういうのがあるのも、雇用契約して、団体の所定のミッションなり何なりに同意した者のなかでやることであって、内輪で日々競争をやってるからといって、知らない間に外の人間をそこへ巻き込む、とか、自分たちに都合の良いときだけ競争です、うちが一番!とか言って、都合が悪くなると口をつぐむ、とか、そっちの一方的な裁量に振り回されてはたまりません。

あと、言論の場で「正しさ」へたどり着こうとする行為もゲームめいた感じになることがあるが、これは学問とか、それ専用の場所があるんで、そこでやればよろしい。非凡と凡庸の区別、という通俗メロドラマも、そういうゲームをやるならやるで、どうしてもやりたいんだったら厳正にやりなさい、という話だ。

(最初のきっかけは知らないが、レイボヴィッツ(ワルシャワ生まれのユダヤ人)がブーレーズ(パリ音楽院の秀才、カトリックの巨人メシアンを担いで世に出る)と相容れなくなったのは、後者が、ある日突然「俺ルール」を決めて、「はい、俺の勝ち、あんたの負け」みたいなことを一方的に宣言する傾向が顕著だったからじゃないか。片山杜秀が、その感じをギャンブラーと形容したことがあったけれど……。で、「表沙汰にはなってないけどホントはこうなんだよ」のヒソヒソ話は、必勝法が実はあるからお前だけに教えてやるよ、という論法になっていて、だからクダラナイわけです。)

24時間365日、常に勝ち負けや順位の序列で生きてるわけじゃない、というのは、少なくとも私の考えでは、文化・芸能の基本です。そういう遊びに興じはじめると、その領域は愚かさの分量が標準を超えてどんどん増して、嫌な感じになると相場が決まっている。

そんなものを押しつけられるのは、こちらから願い下げだし、それでもどうしてもそんなことをするというなら、こっちも遠慮なく、それなりの対応をさせていただくことになる。

そしてどうやら、わたくしのこのような考え方を、「仕事欲しさにゴネてる五月蝿い奴」なんじゃないかとご心配する向きがおありのようなので、そんな懸念は無用であるということがはっきりおわかりいただけるように、ご招待などをこちらから特にお願い・強要することなどありません、と申し上げているわけです。

その上で、それにもかかわらず、この何やら部外者からはその意味を了解しがたい「ナンバーワン競争」の領域もまた、わたくしが仕事でずっとながめさせていただいている地域に含まれているのはまぎれもない事実なので、何が起きているかということは見に行くし、必要に応じて、意見・感想は、当然ながらその都度申し述べます。)