キレイゴト?

疑問を抱かれそうなことがあれば、率先して正直に答える。

様々な事情が絡み合って、明瞭な即答が困難なときには、半年かかっても一年かかっても十年二十年かかっても、死ぬまで「現在作業中」の道半ばになったとしても、その複雑な事情をひとつずつ切り分けて、それでも正直に答えを出すところまで諦めない。

お互いに打ち合わせたわけでもないのに、お客さんのストレートな期待がひとつのところに集まって、ステージの上のひとたちの目指すところも同じところに集まって……、そういう演奏会に接すると、やっぱり正直が一番だという思いを新たにする。

きれいごとを言っているのだろうか。

日々実際にやっていることは、ものすごく泥臭いことの積み重ねであるというのが実感なのだが。

そして「学問」というのは、当節その意義が疑われそうな出来事が起きているが、そういう風に一歩ずつ進んでいこうとしているときに、導きの光のようなモデルになり得る。そういう意義がありそうな気がする。それは、宗教と隣接しているけれどもちょっと違う……ような気がする。あくまで、学位もない半端者である個人の意見、感慨だが。

(でも、一生とかそれ以上とかの長さを視野に入れて何かに取り組もうとするときに、モデルやよすがになる何らかの指針というのは、人間の世の中にそれほどたくさんあるわけじゃなく、「学問」and/or「宗教」は、多くの人にとって有力な助けなんとちゃうやろか。あと、「商売」(経済、広い意味の)というのもあるけど。ともかく、この種の人間の営みの意味・意義とかいうのは、そういう気の長いスパンでやっと浮かび上がってくるものなんやろうなあ、と思う。)