ヒステリックな絶対評価より冷静で素朴な相対評価で手を打つほうが便利なことが時にはある

20年前にバリバリに働いていた中堅を「時代を先取りの大胆な人事」で抜擢したとして、それから20年が過ぎたら、その人は既にベテランなのだから、それほど強烈に攻めの姿勢を維持できるはずがない。新しい試みを準備する一方で、表看板がそのベテラン氏なのであれば、比較的穏健な物の見方をする人(たとえば30年か40年前の価値観で時間が止まっている感じの人)を応援団長に選んでおくくらいのほうが物事が丸く収まる可能性は高くなる。20年前後同じ役職を勤め上げるのは、歳を取ってから名誉職で何かの「長」に座るのとはまったく意味が違う、一定の実績なのだし。

(ベテランがトップに安住した状態で足と時間が止まってしまわないために、何にどう手をつけたらいいか、悩ましいことなのだろうとは思うけれど、全体としてそういう陣容で、いかにもそれらしい取り組みをしているのが私たちの今の姿だと認めるところからしか、物事ははじまらない、たぶん。)

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ある都市のトップクラスの音楽団体に強い期待を抱く人が、その都市よりも充実した別の都市を引き合いに出して、あれが足りない、これが足りない、とダメだしするのは、常に夢を大きく、向上心を持ち続ける姿勢として、誰もそれを非難することはできないが、たまたまそのどちらでもない第三の都市の音楽団体がそのシーズンに来演して、試しに聴きに行ったら「なんだ、うちらの音楽団体はめちゃめちゃ質の高いことをやってたんじゃん」とわかって、気が楽になったりすることがある。

大きな声ではいえないが、前ばかり、上ばかりを見ているだけでは、過剰に消耗して、しんどくなるばかり、という局面が世の中にはある。

「全科目満点というわけじゃないけど、これだけの成績なら、なかなか頑張ったほうなんじゃないか」と思いながら夏休みを過ごす方が、本当の意味での休暇になって、リフレッシュ効果も上がるというものだ(笑)。

(うちの父親は、そういう風に人をリラックスさせることができない堅物だったけれども……。そして一般に、今の大学はあと1週間か2週間は何かと春学期のクロージングの諸々が続いて、「夏休み」じゃないけれど……。)