パリ1907年

だからお前にパリは似合わない、と言われそうですが、ファリャが「はかなき人生」のスコアを携えてパリに出てきたのは、ディアギレフの仕切りでリムスキー=コルサコフやラフマニノフがパリでロシア音楽のコンサートを開いたのと同じ年なんですね。(その次の年が「ボリス・ゴドノフ」パリ初演で、さらに次の年にいよいよセゾン・リュスがはじまる。)

年の初めにラヴェルの発表した「博物誌」が物議を醸して、このアパッチ野郎が注目を集めるのに嫉妬したドビュッシー(「ペレアス」でようやく大物感が出てきたところ)と仲が悪くなっていく。ラヴェルが「スペインの時」や「スペイン狂詩曲」を着々と準備している一方、ドビュッシーのほうは「海」を書いたあと、作曲はちょっと小休止な感じに見える。

前年にラヴェルが発表した「アルボラータ(道化師の朝の歌)」を友人たちは、ショパンのスケルツォかバラキレフみたいだと言ったそうですが、フランスの音楽家が、音楽におけるイタリア(権威の象徴コンセルヴァトワールだって元をたどればイタリア人ケルビーニが作ったようなもの)とドイツ(つまりはワーグナー)の覇権にウンザリして、スペインとロシアを歓迎する気分になっていたところに、本当にスペイン人やロシア人がやってきたわけだから、もう後戻りできない感じでしょうか。

調べ物をしていて気が付いたことですが、あっちこっちでバラバラに知ったことをつなげていくと、やっぱりこの20世紀に入りかけの頃は妙に濃密で一触即発感がありますね。

20世紀を語る音楽 (1)

20世紀を語る音楽 (1)

ついでにアレックス・ロスを読み返したら、直接関係ないのにシェーンベルクの『和声学』のヤバい序文や「ヴォツェック」のところを読みふけってしまった。ヴォツェックには第一次大戦の体験が反映しているだろうという岡田暁生っぽい話が既にちゃんと書いてあった。

で、サティが巻き込まれたリラダンの薔薇十字団はパルジファルなんでしょう。やっぱりワーグナーに熱狂して芸術に神秘を求めるとロクなことにならない……。仏教を「虚無の宗教」と思っているうちは解脱できまい、ということでもある。