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Academy of St. Martin-in-the-Fields をアカデミー室内管弦楽団と呼ぶのをスルーするんだったら(英語名称のどこにも「室内管弦楽団」に相当する単語がありまへんがな(笑))、
Orchestra dell'Accademia Nazionale di Santa Cecilia をサンタ・チェチリア国立音楽院管弦楽団、とするのも、当たらずとも遠からず。
アカデミーという単語が教育・研究etc.を広くカヴァーする団体を指すことがあるらしい、というところまでは認知されつつあるようだから後者の「音楽院」を「アカデミー」に直しても大丈夫な感じになったけれど、
Academy of St. Martin-in-the-Fields のほうは、アカデミーという名の音楽団体がある、というところが日本で広く受け入れられるには至っていないから、「室内管弦楽団」という尻尾を付けたままにせざるを得ない。
「アカデミーがわかっておられないようですな」と笑うのは誰か? 日本にそういう実体がないから、そりゃ混乱するよ。笑われる筋合いはない。
参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140219/p1
ワードマップ現代形而上学: 分析哲学が問う、人・因果・存在の謎
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第1章が「人の同一性」。
identity つまりはID、会社で社員さんが首からぶら下げてるあれです、最近は音楽堂でも「中の人」はみんな持ってる。
でもその最後の節は「人の同一性は重要か」となっていて、世の中には ID より他に色々考えなアカンことがあるよ、というオープン・エンディングになっている。
分析哲学も、ようやく少しは「オトナ」になったようだ(笑)。
「ひとつに決めたい」というのは、書類を整然と管理したいホワイトカラーの発想なんやと思います。
ホワイトカラーさんは在任期間が3年とか5年とかで次々部署を変わる。
彼らは「オレの在任中に問題がなければ、それでいい、これまでがどうだったのか、その先がどうなるか、そんなことは知らん」という寿命が数年のセミのような生き物なので、賞味期限数年の ID を、自分が責任を負わないでいいように偏執的な厳密さで発行したりするわけです。
でも、何十年もながめていると、言葉も現実もどんどん移り変わりますから、そういう偏執的な厳密さは思い切り空振っていて、アイデンティファイに失敗していると見えるようになる。
(大学生・大学院生の間で分析哲学が流行ったのも、ホワイトカラーのID好きと同じだと思う。「あとさきのことはいいから、オレが学位論文を書くまでの数年間だけは、概念や論理の安定したIDを維持してくれ!」というように、楽して資格を取りたい需要に、分析哲学はぴったりだと見られていたのでしょう。大学院改革でみんなが浮き足だって、手っ取り早く業績が欲しかった時代の浅い態度ですな。)