文献学の中国と言語学のインド

西洋のシノロジーの概説書を読んでいると、19世紀以後の近代文献学(要するに、書物をいかに扱うか)は中国で壮大に発展していた古典注釈の伝統に触発されたのではないかという話が出てくる。

そして西洋にとってインドとは何だったのか、哲学(への仏教のインパクト)の話からたどっても、韻律とは何か、という広い意味での言語論・音声論の話からたどっても、サンスクリットの話にたどりついて、母音と子音を区別する考え方の源流はサンスクリットなんじゃないか、という話になってしまったりする。

書物のネットワークの「なか」に安住すれば学者として安心立命を得られるだろう、とか、最小の要素に分解して、その組み合わせで情報をうまく制御できるだろうというデジタル、とか、潔いといえば潔いわけだが、それらの態度は、古典注釈(中国)や母音と子音の区別(インド)の外へ一歩も出ない、むしろ、自ら進んでその枠内に立てこもることだったりするかもしれないと考えると、ちょっと恐いよね。

(もちろんこれは、人文批判の文脈、「わたしたちのなかの西洋とは何なのだろう」、という文脈で言っているわけだが、おそらく「起源を問う」という態度が無意識に現在の私とつながっている半ば神話的な祖先以外に興味をもたない態度と接合したところに、こういう壮大な「閉じ」が成立している気がします。こうした「閉じ」を保持したままで、スコープを広くとるのが歴史学、狭くとるのが近代論や現代社会論である、みたいなことになってしまうと、どっちもつまらないわけで……。)